興徳寺の情報交流

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興徳寺の情報交流-紙上法話

第79号(復刊第4号)平成20春お彼岸

はきものをそろえる

はきものをそろえる
はきものをそろえると 心もそろう
心がそろうと はきものもそろう
ぬぐときに そろえておくと
はくときに 心がみだれない
だれかが みだしておいたら
だまって そろえてあげよう
そうすればきっと
世界中の人の心も そろうでしょう
           藤本 幸邦

 毎年、桜の時期になりますと、興徳寺は、たくさんのカメラマンでにぎわいます。
そういう方たちが、土足で本堂の縁側に上がるのを見て、何か注意を促すような看板を置こうと考え、思い出したのがこの言葉でした。

『土足厳禁 』では、いかにも味気ないと思ったからです。

この詩と出会ったのは、今から十年以上も前のことです。
さりげない言葉ですが強い説得力があり、大変感動いたしました。

はきものがそろっていないのは、心がそろっていないから・・・はきものがきちっとそろっていれば、はくときに心が乱れない・・・たかがはきもの、忙しくってそんなこと構っちゃいられない、と思うかもしれないけど、身をかがめて、はきものをそろえる時間はせいぜい10秒です。そのたった10秒のことををクセにする、そういう丁寧な生き方を続けていくと自然に人生が変わってゆくような気がします。

「だれかが みだしたはきものをだまってそろえてあげる」は他人が捨てたゴミを、そっと拾う、と同じでちょっとした勇気が必要です。でもそういう人、そういう子供が増えていったら、今、世間を騒がせている、子が親を殺したり、大人が幼子を虐待するといった、悲惨な事件は無くなっていくのでは、と思います。
子供さんがいる家の玄関に、小さな靴がきちっと並べられているのは、とってもすがすがしい。「よい躾をされてるな」と感じさせられます。

 日蓮聖人は『異体同心事』という文のなかで、

ー異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶う事なし〈中略〉一人の心なれども二つの心あれば、その心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども、一つの心なれば必ず事を成ず―

と述べておられます。

 これは、それぞれの身体をもっている人たちが心を一つにして理想に向かってゆけば、あらゆることが成立し、逆に身体は一つなのに心がばらばらに散っている状態では、何事も達成できない、という教えです。
「異体同心」。世界の人々の心がそろうという壮大な理想の前に、案外見落としがちなのが、実は家庭のこと。もっとも身近にいて、もっとも解っている人であるはずなのに、「何を考えているのかよく解らない」という話をよく聞きます。

まずは、身をかがめて、自分のはきものをそろえ、相手のはきものをそろえてあげるところから始めてみませんか?
私自身の、大いなる反省をこめて。