興徳寺の情報交流

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興徳寺の情報交流-紙上法話

第82号(復刊第7号)平成20暮れ

 NHK 朝の連続ドラマ 『だんだん』の主題歌、竹内まりやさんの「縁の糸」のうたに、袖振り合うも多生の縁、ということわざが使われていました。

「袖振り合うもたしょうの縁」ということわざは、誰もが知っていると思います。
ですが、この〔たしょう〕を〔多少〕と思っている方は多いのではないでしょうか? 人と人がすれ違うのも、ちょっとした縁だと・・・
しかし、この〔たしょう〕、正しくは〔多生〕あるいは〔他生〕と書き、何度も生まれ変わること、あるいは前世を意味します。

道で見知らぬ人と袖がちょっと触れ合うようなささいなできごとも、それはただの偶然ではなくて、すべて前世からの因縁によるもの、だから、どんなささやかな出会いも大切にしましょう、という意味です。

 私たちは、さまざまな「縁」によって生活をおくっています。
親子・兄弟・親類といった血縁以外に、友人・職場の仲間、ご近所の方たちなどと何らかの縁によって結ばれています。
それは、偶然のできごとに思えますが、仏様から見れば必然のこと。

 日蓮聖人は「法華取要抄」の中で

――この土の我ら衆生は五百塵点劫よりこのかた教主釈尊の愛子なり。
不孝の失によって今に覚知せずといえども他方の衆生には似るべからず。
有縁の仏と結縁の衆生とは、たとえば天月の清水に浮かぶがごとし――

と述べておられます。

私たちは生まれるずっとずっと前からお釈迦様の子供でした。
そのお釈迦様(仏様)と縁で結ばれた私たちの関係はちょうど、天に浮かぶ月と、その月を映す清らかな水のようなもの。
天の月が仏様なら、水に浮かんだ月が私たちです。

 自分は仏様の子供として、深い慈悲の中で生かされている、ということが自覚できると、この世に偶然ということはなく、またムダなことも何もないことが理解できるようになります。

 すべては、多生の縁なのです。


【写真提供 高瀬幹雄 】