興徳寺の情報交流

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興徳寺の情報交流-紙上法話

第83号(復刊第8号)平成21春お彼岸

見えぬけれどもあるんだよ   見えぬものでもあるんだよ

星とたんぽぽ  (金子みすゞさんの詩より)

青いお空のそこふかく
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ
 見えぬけれどもあるんだよ
 見えぬものでもあるんだよ

ちってすがれたたんぽぽの
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる
つよいその根はめにみえぬ
 見えぬけれどもあるんだよ
 見えぬものでもあるんだよ

 


【写真提供 高瀬幹雄 】

 童謡詩人・金子みすゞさんは、明治36年山口県で生まれました。
26歳の若さで世を去りましたが、生涯に512編の詩を遺しました。
「星とたんぽぽ」は、その代表作のひとつです。

 昼、空を眺めても星は見えません。でも星は確かに存在します。
春になると、たんぽぽが可愛い花をつけます。それは冬の何も見えない土の中に根っこがかくれているからです。

 よく、「この目で見ないうちは信用しない」などと言いますが、 この世は見えないものだらけ・・・
人間の目で見えるものなど、たかが知れたものです。

 法華経如来寿量品、自我偈に
「諸々の有ゆる功徳を修し、柔和質直なる者は、則ち皆わが身、此にあって法を説くと見る。
(諸有修功徳 柔和質直者  則皆見我身 在此而説法)」

という 一節があります。

―よい行いをし、心が柔かでスナオな人には、私(仏様)が、ここに居て、教えを説いているのが、見えるでしょう―

という意味ですが、この「ここ」というのはどこなのでしょうか?
お釈迦様が教えを説いた「霊鷲山」という山のことでしょうか?

実は「ここ」というのは、私たちが住んでいるこの世界。
あなたのすぐそばに仏様が居られ、そして常に呼びかけてくれているのです。

実際には、私たちの耳に仏様の声は聞こえず、私たちの目で仏様は見えませんが、確かに存在するのです。
それは、電波のようなものともいえます。
ラジオを聴くために周波数を合わせることを同調させるといいますが、私たちが仏様の声を聴くためには、私たちの心を仏様に同調させる必要があります。
日蓮聖人はそれを「南無妙法蓮華経・南無・・・・」と一心にお唱えすることだと、教えてくださいました。

 今年も「寒行」が行われました。
凍てつくような寒さと闇の中、ひたすらにお題目を唱えながら、参加者はそれぞれに見えぬ何かを感じたことかと思います。

見えぬけれどもある、のです。