興徳寺の情報交流

>> 紙上法話トップページ

興徳寺の情報交流-紙上法話

第85号(復刊第10号)平成21秋お彼岸

生きているということは 誰かに借りをつくること

 あの永六輔さんの詩、「生きていくということは」という作品があります。生きているという事は、誰かに借りを作って、借りを返していくことなんだ、一人じゃ生きることができないんだ、という内容でした。。

 その詩と出逢ったのは今から4年ほど前、ある檀家さんの法事の「払いの膳」でのこと。 
奥様が挨拶の中で亡くなられたご主人の事務所の壁にかけられていたというこの詩を読み上げられ、大変感動しました。
そして後にこれが永六輔さんの詩であることを知ったのです。

 よく「子供には人さまに迷惑だけはかけるなと教えてきた」という人がいます。
ですが実際に迷惑をかけないで生きてゆくことはできません。
インドでは「人は迷惑をかけるもの、だから他人の迷惑を許す心を養え・・」と教えるそうです。

 生きているということは、まさに誰かに借りをつくっていることでもあります。
私がかつてブラジルに住んでいたころ、日本から旅行で来られた方から「あなたの息子さんが日本に滞在されているということですが、何かしら私にお世話させていただけませんか」と言われ、聞いてみると、その方の息子さんがニューヨークに留学され数え切れない人のお世話になったはずだから・・・と。

 日蓮聖人は 乙御前御消息というお手紙の中で

『身つよき人も、心かひなければ多くの能も無用なり』

とお示しです。
たとえ体が丈夫で、多くの能力があっても、心が正しい方向を向いていなければなければ、それはまったく無用のものですよ、という意味ですが、とかくに強い人、能力の高い人は、弱者の気持ちが理解できません。
同じように自分が迷惑をかけずに生きていると思っている人は他人の迷惑が許せません。それは決して、楽な生き方ではないはずです。

 幼い時は親に迷惑をかけ、老いては子や孫に迷惑をかける。それを当たり前のこととして受け止め、許しあうということが大切かと思います。
人はひとりでは生きてはゆけないのですから・・・・


【写真提供 高瀬幹雄 】