興徳寺の情報交流

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興徳寺の情報交流-紙上法話

第97号(復刊第22号)平成24年秋彼岸

このどっしりとしたところはどうだ

人間に与える詩          山村暮鳥

そこに太い根がある
これをわすれているからいけないのだ
腕のような枝をひっ裂き
葉っぱをふきちらし
頑丈な樹幹をへし曲げるような大風の時ですら
まっ暗な地べたの下で
ぐっと踏張っている根があると思えば何でもないのだ
それでいいのだ
そこに此の壮麗がある
樹木をみろ
大木をみろ
このどっしりとしたところはどうだ

山村暮鳥 明治17年 群馬県に 生まれる。児童文学者であり、詩人。
著書に詩集「梢の巣にて」「雲」童話集「ちるちる・みちる」等 
大正13年、40歳で死去。

 

私達は日常生活の中で、木の幹や枝葉はよく目にしますが、「根」にはあまり注意を払うことはないように思います。しかし、その存在は、しっかり土の中にあって、その木を支えている大切なものであります。
私達もまた「ご先祖」という「根っこ」により命を頂き、今に生かされ、支えられているのです。

日蓮聖人は「亡持経事(ぼうじきょうじ)」というお手紙の中で
『我が頭(こうべ)は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬(たと)えば種子と菓子(このみ)と、身と影のごとし』
とお示しです。―――私の頭も足も指も口も すべて両親からいただいたもの。それは、例えて言えば種と実、本体と影のように切っても切り離せないものなのです――

ところで この詩のタイトル、「人間に与える詩」ですが、誰が何を人間に与えるのでしょうか?

「根っこ」に象徴されるご先祖さま、そこにつながる 大きな大きな仏さまの存在がある、と解釈してみましょう。だからこそ、お題目を唱えることによって、ご先祖さまが救われ、私たち、子どもも、一緒に救われる・・・ご先祖さまも、仏さまも、どっしりとした存在なのです。一人ひとりの心の中にどっしりとした存在がある。そこを信じられると、生きることの不安がなくなり自然に感謝の心が 湧いてくる。それが、信心の第一歩です。