やっとブログを更新できます。
次男が滞在していることで それなりに時間をとられ 29~30日が『富士山ピース&アートフェスティバル』、
昨日より「暮れのお経廻り」に突入してしまいました。
中山道 奈良井宿
『YUNOどんぐりの会・第4回植樹祭』
11月27日、参加者は柚野小学校の児童3~6年生104名、先生が8名、それにボランティアスタッフ55名、約400本の木を植えました。
8:00 スタッフミーテング
『開会式』で会長挨拶
山に向って出発
植樹開始
スタッフの皆様、本当にご苦労様でした。
午後、6年生の5時間目の授業で話をさせていただきました。
「第1回植樹祭」に 3年生だったこの子たちも 来春には卒業です。
「なぜ広葉樹を植えたいと思ったのか、それが未来にどういう意味をもたらすのか」といった内容を小学生に伝えるのは、私にとっても初めての体験でしたが、皆 メモを取りながら よく聴いてくれました。
質問がたくさんありました。 「なぜ 小学生と一緒に植えたいと思ったんですか?」「今までやってきて嬉しかったことは何ですか?」
「世の中がどんどん便利になって 色んなことが簡単にできるようになりました。お金を出せば何でも買える、と思っている人もいるかもしれません。でも あの山が美しくなるまでには 30年待たなければなりません、私たち大人はそれを見れないかもしれない。 30年後といったら 皆さんは42歳です。多分、お父さん・お母さんになっていることでしょう。子どもたちが山で遊んでくれると思います。その時に木を植えたことを話してあげてください。それを想像することはとっても楽しい。同じ夢をもつたくさんの仲間がいてくれて その喜びは何十倍にも 何百倍にもなります、それもまた とても嬉しいことです。 それから 大きな台風や雪で針葉樹の山があちこちで崩れたけれど、私たちの山はまったく問題がありませんでした。そのことを通して 最初、木を切ることを心配していた人たちも、認めてくれるようになりました。これも嬉しいことでした。」
木曽楢川小学校の給食用食器、漆器の町ならではの漆塗りのセット
『富士山ピース&アートフェスティバル』
今回のスペシャルゲストは福島県浪江町の吉沢正巳さん。原発から14㎞、警戒区域内に取り残された被ばく牛の保護・世話を続けながら、原発を乗り越える世の中を目指して、メッセージを発信し続けています。
吉沢さんは言います。
「放射能汚染地図のど真ん中にある
この町に未来はあるのか!?
政府は
『必ず除染をして帰れるようにします』
と言う。
本気で思っているのか?
百姓が帰るか? 帰らない!
汚染水垂れ流している海に漁師が帰るか? 帰らない!
子どもたちが帰るか? 帰らないのです。」
私が 山に木を植え始めたのは、大そうなことではなく ただ元に戻したい、と思ったのです。
そしてアクションを起こせば 30年後には 美しい山が 蘇ります。
しかし 福島の原発被災地は 30年たっても 元には戻らない・・・