山寺の
和尚さん日記

7月1日

今日は 7月1日、 一年の半分が 終わってしまいました。
花まつり が終わってから お盆までが 1年でもっとも 時間的に余裕を感じる、嬉しい時なのですが、 それも そろそろ オシマイです。
これから お盆~川施餓鬼~お彼岸~お会式~暮のお経~大掃除、年賀状書いて~大晦日・・・か~。
毎年 おなじことの繰り返し、ですが その中で 工夫をこらし 常に心が ワクワクできている状態を 保ちたいものです。
 
7月1日は また 私にとって 特別の日でもあります。
平成17年7月1日、 妻が 逝った・・・
そして その翌年の7月1日、 入山式を挙行し、 興徳寺54代目の住職に就任・・・




最近のブログで 若かりし頃の 妻の写真を 掲載したところ、 妻の友人たちから 好評だったので
もう少し お披露目(?)します。

 知り合ったばかりの頃、 私 23歳、 妻 20歳
 妻との ツーショットは ほとんどないので これは貴重なスナップ、
 アフリカから 帰ったばかりの私、 
 ケニアの ナイロビの 青空古着屋で買った 
 ケニア陸軍アーミーコートを 着ています。
 この格好で 街を歩いていた私を 見かけた妻が
 「この人 と結婚する!」 と閃いた、
 という ウソみたいなハナシ・・・
 出会って 2ケ月後、私は 沖縄へ・・・
 そしたら 当時市役所職員だった 妻は 
 欠勤して 会いに来た、
 その、 翌年 北海道に就職したら 
 また 会いに来た、
 
 そして 曰く 「アタシ 北海道に 住むから!」 
 
硬派を 自認していた私は その一言で 観念したのでした。

結納を兼ねた 仮祝言を 妻の実家で挙げて、 それから 1週間後、 行李一つ、布団袋一つ、
それだけで 北海道にやって来た妻に 
私は 意を決して 宣言しました。
「オレは オマエのことを 一生 愛するヨ」
そしたら 妻が、
「・・・アタシは わかんない~」
と のたもうた・・・
「そりゃ ないぜ~ それじゃ 結婚詐欺だ~」
と 理性を失い うろたえる私に、
「そりゃ~ ケンちゃんのこと 今は すごく愛してるよ、 だけど 一生のことなんか わかんないじゃん」
とても スナオな人でありました。
「まけた~」 と 正直 思いました。
平成17年6月16日朝、 サンパウロから電話、 妻の友人からです。
「ハツヨさんが 空港で倒れ 意識不明の重態です」
私が 駆けつけたとき 妻は 集中治療室のベッドの上、 
くも膜下出血 で 脳の血管が 収縮を起こし、 「お気の毒ですが 助かっても 植物人間でしょう」 と、 医師からの宣告を受けました。
それでも私は 妻を日本に 連れて帰りたい、と思いました。 植物人間になった 妻を 興徳寺で 私が面倒 見よう、 と・・・
その決断をして 人を介して 特別搬送の手続きを依頼した その日、 妻は 黙って 旅立って行ったのでした。
「ありがとう、けんちゃん、もうイイヨ」 と言ってくれたように 思いました。

妻が倒れたとき 搬送された病院は 公立の総合病院で
すべての費用が 無料でした。
日本に連れて帰ることを考えた 私は
もしかして 1千万円単位の 借金を抱えることになるかな?
とも 思ったのですが、
でも 絶妙のタイミングで 私は一銭も使うことは なかった・・・
 
2ケ月前に亡くなった友人 「大村峰緒さんを偲ぶ会」 が 仲間たちによって 開かれ 参加して 帰ったら
 妻のお墓に 妻の好きだった 白百合 と 小さなヒマワリが・・
 妹たちが 飾ってくれたのでしょう
 
 感謝!



妻が亡くなった直後、病院側から 「できたら 角膜をドネーションしてくれないか」 との依頼を受け 同意しました。
今頃 ブラジルの青い空を眺めているかもしれません。