山寺の
和尚さん日記

芳枝さん

今日は 母の 誕生日。 寅年生まれの 年女で 84歳になりました。

私の 妹たち(双子)と・・・

私は 興徳寺に戻ってから ずっと この母と二人暮らしです。 「オカアチャン」とか 「ヨシエさん」と呼んでいます。
ヨシエさんは 清水(現在は静岡市)の大きなお寺の長女として生まれました。 10人兄弟の一番上。 何不自由なく育てられ 女学校にも行かせてもらいましたが 清水の大空襲で焼け出され 家族12人が 2間だけのバラック小屋に住んでいたところを 人を介して 父が申し込みに行ったそう。
その時二人で映画を見に行ったことが 唯一のデートで そのまま縁談はまとまり、 一度も見ないままで興徳寺に嫁いで来ました。 
お寺の格からいっても とても申し込める相手ではなかったそうですが 先方は一人でも 口減らしをしたかった というのが本音で そこへ父の殺し文句 「お米のご飯が 腹一杯食べられる」 は、ハラをすかしていた娘心を射るに 充分であったような・・・
以来、泣き言は言わず、よく働き、そして いつも明るく、何というか 育ちの良さみたいなものが そこそこに感じられるような 山寺の奥さんでした。
まったく 丈夫な人で お産以外寝た事がない という伝説(?)があります。
風邪をひかず・頭痛・腹痛・肩こり・不眠症・・・一切 縁がない。
ただ 家系で 腰が曲がっていて 長く歩けない事と これまた家系で 難聴(補聴器を使っている) 
そして 認知症・・・
2年ほど前、急に物忘れがひどくなり、病院の診断を受けると・・・
「脳の海馬(かいば)という記憶を掌る部分の 組織の一部が機能しておらず 認知症と認めます。」とのこと。 
少しばかりショックで 何故か安心しました。 「やっぱりな」というのが正直な気持ちだったと思います。 
「要介護2」が認定されました (最近 1 に戻ってしまった、喜んでいいのか?)。
何でも 片っ端から忘れてしまいます。 「気楽なもんだね」 というから 「アンタは 気楽だけど、こっちはたまったもんじゃない」というと 「そりゃ そうだ」と 自ら 大笑い。
「アタシは 日進月歩でバカになる・・・」という名言を残しました。

玄関の上がり端(はな)に貼ってある。
本人は これを見ても 気にしない。
 
最近つくづく思うのですが 幸せな人 とはこのような人のことではないだろうか?
私たちは 物事を忘れることを 困る と思う。 母は まったく困らない。
私たちは 将来のことを 多少なりとも 不安に思う。 母には まったく不安はない。
つらかったこと、悲しかったこと、悔しかった事、そういう いやな記憶はすべて消えてしまいました。
残っているのは 嬉しい・楽しい・オイシイ・ありがたい という 良い感情のみ。
いつでも 誰に対しても 「ありがとう」 と言います。
他人の悪口は一切言わず、被害妄想も まったくありません。
おもしろければ 全身をゆすって笑うし 機嫌がよければ 鼻歌。icon26ふんふんふんふん~
朝と昼の食事は 私が作ります。 
朝一番 その日のメッセージを 冷蔵庫に張った ホワイトボードに・・・

84才になりました。
まだまだですネ と書いたら 続けて 
ありがとう もう少しがんばります
と お返事
どうぞ がんばってください。

そんな訳で 今のところ まったく良きパートナーです。




*講演会、いよいよ 明日! 何となく 落ち着かない・・・