山寺の
和尚さん日記

栞里(しおり)さん

ブログの更新が遅れてしまいました。 本格的なお盆のお経廻りの前に 『興徳寺便り』を作成しなければならず、今回 100号ということで 特集号を組むことにしたのですが・・・   その膨大な資料に目を通して、実際に編集するまでに 予想以上に時間がかかってしまいました。



そこに 檀家さんの訃報、
枕経に伺って 一番最初にすることは 遺体にかけられた白い布を外すことですが・・・
そこに現れたのは 本当に美しい お顔でした。 手で触れれば 温かく 艶があって ほのかに息づいているようでした。
平成3年生まれの22歳、このような美しいお顔を見ながら お経を唱えたのは初めて、平成生まれの方の 葬儀も初めてのこと。
「可哀そう・・・」という声が聴かれます。
誤解を恐れずに 言わせていただければ 可哀そうなのは お母さんであって ご遺族であって 体を離れた魂(霊)は 悲しんでいない、悔しがっていない、生きている我々を羨ましがっていない・・


利発で活発で明るい女の子だったそうです。負けず嫌いで 幼稚園の年少組では 運動会、マラソン大会等 常に先頭にあったそう。 5歳の時、突然不調に陥り、検査の結果、脳腫瘍に水頭症を併発していることが判明。
脳腫瘍手術の後遺症である 軽い運動機能不全と 水頭症治療のための シャントチューブという細い管を体内に装填しての 人生でした。 
脳腫瘍の再発、シャントチューブの詰まり、癒着など、そのたびに 手術~入院を繰り返し、小学6年で 両親が離婚という悲しい体験もしましたが、屈折した感情は一切持ち合わせず、周りは周り、自分は自分と割り切り、負けず嫌いの性格は そのままに 己に厳しく 他人にやさしき女の子であったそう。
 
泣き言は一切言わぬ 強い女の子でした。そして真の強さとは 優しさであることを 教えてくれた女の子でした。

無事 高校も卒業し 市内の紙加工会社に就職、
社会人としての一歩を歩み始めたばかりでしたが、
昨年3月の定期検診で 自覚症状もないままに
再発を告げられ、入院。
摘出手術の結果 悪性腫瘍(グレードⅣ)、
神経膠芽腫にて余命早くて半年、
一般に12~15ケ月との宣告を受けたのでした。 
いったん退院するも8月26日激しい頭痛を訴え入院、
再び生きて還ることは叶いませんでした。
病状は 少しづつ、そして確実に進行し、本年6月末、すべての運動機能を失い、自分の意思で動かせるのは 瞼のみ、となりました。
7月15日、最後の時がきました。 家族が見守る中、お母さんが 両肩を抱いて「シオリちゃ~ん!」と呼びかけると、白眼が反転して きっちりと母の眼を覗き込み、そして唇が つぶやくように動いた・・・
「○ ○ ○ ○ ○・・」
それから 大きな呼吸を3回、その後 生命を証明するあの波形が 水平になった・・・

お母さんは ずっと考えていました。 「最後に何を言いたかったんだろう?」って・・
「『ありがとう』だろう?」と、おじいちゃんが、 
「イヤ、口の形が違う」・・ そして 閃いた! 
毎朝 出勤前に病室を見舞うと、まだ 口がきけるころ 「今日も一日 ガンバルゾ~、オォ~ッ!」と言って こぶしを突き上げて 笑顔で母を送り出す。 それから 懸命にリハビリをこなし 苦痛と不安と闘い、 
夕刻 「ただいま~ 今日はどうだった?」と訊くと
 「がんばった~」と 一言、 
毎日この繰り返し・・・
周りに気を使い、決して 苦しい顔は見せなかったけど やっぱり ムスメはむすめ、 お母さんにだけは 本音で話したのでしょう。 
「そうか 最後の言葉は 『がんばった~』 だったんだ」・・・と母親の 緑里(みどり)さん。


「佐野栞里(しおり)さん、今回の人生、よくがんばったネ 」と ホトケさまが迎えてくれることでしょう。
 
多くの人に 元気と勇気を与え続けた、栞里さん、 立派に 今回の人生の使命を果たしましたネ、
「この子には 人生を楽しませてもらった」とおじいちゃんが・・・ いい言葉だと思います。 でも本当に人生を楽しんだのは、シオリちゃん! あなたではなかったでしょうか?
「本当にありがとうございました。 菩提寺の住職として 心より御礼申し上げます」


いよいよ お盆の棚経がスタートします。