福岡で 『ハル』のコンサート、
「ご当地アイドル」なんて言葉はちょっと似合わないけど、地元でこんなにも多くの方たちに愛されている、ということを改めて感じながら、至福の時を過ごさせていただきました。
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翌日(11/12)レンタルバイクで『耶馬溪、青の洞門』へ・・・
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『青の洞門』のことは 小学校の頃、仏教劇画みたいな本があって そこで初めて知り、その後、この話をモデルに書かれた 菊池寛の短編小説『恩讐の彼方に』を読んで 大いに感激し 一度は訪ねてみたいと 思っていたのです。
『恩讐の彼方に』・・・
凶状持ち(主人の愛妾と通じて主人を殺害)の市九郎、妾とともに江戸を出奔し、峠で旅人を殺す非道な暮らしをしていましたが、自らの罪業に恐れをなし、出家して「了海」と名乗ります。 修行が明け、全国行脚の旅に出、羅漢寺に向かう山国川沿いの断崖絶壁に鎖で結ばれた丸太の道で通行人が命を落とすのを見て この川沿いの岩山を掘削することで、自らの罪滅ぼしをしようと誓願を立てます。近在の者は嘲笑い、狂人扱いしますが、来る日も来る日も鑿(のみ)と槌(つち)をふるい、ついに21年目に洞門を貫通させるという内容です。
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山国川上流から 望む
紅葉は 始まったばかり
菊池寛は、青の洞門を開削した実在の僧・禅海の史実をモチーフにして作品を作り上げたそうです。実際には 禅海和尚は 托鉢により資金を集め、享保20年(1735)から自ら鑿(のみ)と槌(つち)をふるい、付近の村人の協力も得て、30年の歳月をかけて明和元年(1764)に全長360m(そのうちトンネル部分は144m)にも及ぶ青の洞門を完成させたました。
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洞門の入口に立って
禅海和尚に 思いを馳せる・・・
改めて この断崖絶壁の岩山に
鎖で縛り付けられた丸太の桟橋が
横たわっている様を想像してみました。
人だけならまだしも
馬を引いて歩くことも
馬がすくんで 暴れだせば
そのまま川にまっさかさまです。
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そして このトンネルの長さ・・・
機械も何もない
ただ ハンマーと鑿(のみ)だけで
掘る・・・
掘る・・・
掘る・・・
一日で何センチ?
2日・3日・・・1年、2年・・・
10年、20年・・・
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禅海和尚。
39歳から72歳までの 33年間を
ただ トンネル堀に費やした・・・
その情熱、
それを保ち続けた
真のモチベーションは
何であったのか?
僧侶としての生き方に 自分自身を重ねて
イメージしてみました。
誰のためでもない、
己自身のためであったな、
と 思います。
今わずかに残る 禅海和尚の手堀りのトンネルと明かり窓
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羅漢寺の仁王門
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同じく羅漢寺の 山門と 本堂
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ちょうど 大相撲福岡場所の開催中、
『ハル』 たちを 「福岡のオヤジ・オフクロ」と慕う 九重部屋の 千代の国(十両)と 千代疾風(序二段)が 私の歓迎会に来てくれました。
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若いのに 礼儀正しく 謙虚で いっぺんで ファンに、 TVの相撲観戦が待ち遠しくなりました。
一緒にバカなことを言っていた あの子たちが 土俵に上がると 別人です。 (本日まで 千代の国 3勝3敗、千代疾風は3勝0敗)。
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