山寺の
和尚さん日記

祈りと復興商店街

東北へ行って来ました。 
20日の朝3時に出発し、午後3時 最初の目的地である 岩手県宮古市田老地区に到着しました。

 田老地区; 
 津波は 
 二重に築かれた
 高さ10メートルの 
 スーパー堤防を乗り越え
 全壊家屋は
 1600戸を超えた

今回訪れたのは、宮古市~山田町~大槌町~釜石市~大船渡市~陸前高田市~気仙沼市~南三陸町~女川町~石巻市の 被災地です。
行く先々の 多くの方々が犠牲になられた場所で お経をあげさせていただきました。

 町長含め 
 25名の職員が
 犠牲になった  
 大槌町役場
 祭壇が設けられています。

 


児童74名、教職員10名が犠牲になった 石巻市大川小学校と陸前高田市の追悼施設、 
相棒ミキオちゃんが お経を丸暗記して 一緒に唱えてくれたのには 感動しました。


  南三陸町防災対策庁舎;
      シスターたちの 祈り

いつも行なっている ボランティア作業はできませんでしたが 大船渡市の仮設住宅を訪ね、130軒の入居者の方々に 静岡のお茶を差し入れさせていただきました。
大船渡市には 同じ富士宮市在住の 日蓮宗のお坊さん、川名上人(かわなしょうにん)の祖母の実家があり (川名上人は)震災直後から 現在まで 月一回くらいのペースで 同地を訪れ 支援を続けています。

平山睦子さんと 母セツさん(91歳)
クリーニング店を経営していて 地震直後は
顧客から預かった商品を守ることに夢中で
気がついたら 津波が迫っていた
幸い、お隣が鉄筋コンクリートの堅牢な家だったため
屋上に避難、
お母さんとともに 膝まで水に浸かって
九死に一生を得たそう・・・

最後の日(23日)は 石巻市の被災者の方々を訪ね、夜10時半、無事 帰宅いたしました。 
走行距離 1631kmでした。
今回の旅で感じたこと、

宮古市浄土ケ浜
昭和8年3月3日、三陸沖地震の後に
建てられた 記念碑;
一 大地震の後には津浪が来る
一 大地震があったら高い所へ集れ
一 津浪に追はれたら何處でも高い所へ
一 遠くへ逃げれば津浪に追いつかれる
   常に逃げ場を用意しておけ
一 家を建てるなら津浪の来ぬ安全
   地帯へ

・このような 記念碑が あちこちに建てられています。
低い所には 家を建てない
地震が発生したら すぐに高台に避難、
この教訓が 生かされていたら・・・ 
と改めて思いました。

・ガレキは ずいぶん片付いたように見えますが、被災者の方々の今後については 見通しがたっておらず、 不便な仮設住宅での生活も まだ当分続くように思えます。 時間は人の気持ちをも 少しづつ変えてゆきますが 諦めさせるのではなく、 具体的な方向を示すことによって、 希望を与えてやって 欲しい、と思いました。 
乱暴な言い方ではありますが 一からの街づくりができる チャンスでもあります。

・被災者の方に 仕事を。 
災害復旧工事の作業員の仕事はありますが、
ある程度の年齢の女の人の事務職、フルタイムとなると 
皆無に等しいそうです。 
きちんと自立できる方向性を考えてやって欲しい。
復興住宅が完成しても、予想される家賃すら払えないのです。
・ 陸中海岸国立公園が 三陸復興国立公園、と 名称を変え(3日前のことです) 将来的には、南三陸金華山国定公園も編入される予定だそうです。 

とにかく どこをとっても 美しい、 
そして 新鮮な海の幸が 上手い、安い・・・

今回同行した
ミキオちゃんと野澤さん、
昼食は「居酒屋商店街」で、
海鮮丼にするか カキフライ定食か
それとも それとも・・・
毎回 悩む・・・

  
ひとりでも多くの方に、訪れて欲しい、と思います。 

津波の被害とは どういうことなのか 
を自分の目で確かめ、 
お線香を手向け、
そして美しい海を楽しみ、

復興商店街で お買い物をし、現地の方とお話をして・・・ 



こんな充実した 旅行は めったにあるもんじゃない。 是非、是非・・・ 

 観光バスも 多く見られるようになりました。
 (横倒しになった建物 女川町)

今後 『祈り と 復興』 のツアーが 増えてくれることを 願っています。
 
 復興のシンボル 陸前高田市の 『一本松』、 手前は 倒れた 松の根と思われる。


                            浄土ケ浜の夜明け

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