山寺の
和尚さん日記

生みの母と育ての母

タケノコ堀りもいよいよ終わり・・・

竹林から村を望む
ミキオちゃんたち仲間が、ボランティアで整備してくれるおかげで、興徳寺の竹林は美しく保たれています。

下から見たところ。日の光が差し込んで美しい

上から見たところ
タケノコはよく出る(生える)年と出ない年がほぼ交互にやってきて、昨年が大豊作だったので今年は少ないだろうと予測していました。 このあたりでは「裏年(うらどし)」という言い方をします。

予想通りの裏年だったのですが、それ以上に大問題が!!
・・・それはイノシシ・・・
タケノコはイノシシの好物で、いままでも被害はあったのですが、今年は特別です。

ある夜、連休で帰省していた泰潤(息子)が 「裏にイノシシが2匹いるッ・・」 あわてて駆けつけたけど見れなかった。
その翌朝、大きな穴を発見、

深さ約40cm、スッポリとタケノコが掘られています。 これがイノシシのしわざ。
驚くのはその場所、

家からわずか30mです。
竹林の中も無数のイノシシの掘られた穴が・・・ 優に100は超えています。

写真では分かりにくいかもしれませんが、茶色いところが掘られた穴。 
この不作の年にこんなにたくさんのタケノコに一度にありつけるなんて、キャッキャッ(ヴイブイ)と喜んだことでしょう・・・

穴をあけて根こそぎ食べることがほとんどですが、この写真のように皮を残して中身だけ、というケースもあります。
隣の竹林の深澤さんはマメな人で、電柵(イノシシが触れるとショックを感じる柵)でグルリと囲んだのですが、それも倒されて侵入されてしまったそう・・・ 「猪の目こぼしを見つけて掘っているだよ・・・」と諦め顔。
「罠を仕掛けたら?」と勧めてくれる方もいますが、罠にかかって苦しんでいる猪と遭遇することを想像すると、とてもできません。

その夜のことです。
「今、イノシシが来ているよ」 と息子が教えてくれたので、行ってみると懐中電灯の照らす中、この春生まれたと思われる中型のイノシシ(体重40kgくらいか?)が3頭、ゆうゆうと歩いていました。  息子は大きな親も見たそうです。
興徳寺の敷地を通り抜け、下の方に下って行きました。
ちょっと興奮し、ちょっと感動! 
以来毎晩、竹林の中を懐中電灯片手に歩いているのですが、遭遇できません。
でも感動している場合ではないのです。 秋の彼岸花の球根の味を覚えられたら・・・ 想像するだけでゾッとします。



母の日を前に、毎年郵便局で 花のプレゼントをお願いしています。
私の母と妻の母の他、ご縁のあった方で生涯子どもに恵まれなかった方や、結婚をされなかった方などにも・・・
かつては6人いたのですが、亡くなられたり、施設に入られたりと、今年は3人、
「3人になっちゃったね~」
「でも、3人にお花贈られるだけでも大したもんですよ~」 と長いお付き合いの郵便局のマスコット嬢(?)が・・・
「實は僕に生みの親と育ての親がいてね・・・」
「エッ、そんな話、ここでしちゃっていいんですか?」 件のマスコット嬢が眉をひそめて・・・
「ウン、 僕が生まれた時、母がおっぱいが出なかったので、父が上野(隣村)から山羊を連れて来てね、その山羊のおっぱいで僕は大きくなったんだよ。」
「はい」
「ま、言ってみれば僕にとっての育ての母にぼくは一度もお礼を言ってないことに気がついたんだよ。」
「はぁ?」
「多分生きてはいないんだろうけど、せめてお墓に白いカーネーションを・・・ 郵便局で何とかできませんか?」
「できませんッ!」 マジメに聞いて損した!とばかりに・・・
〈育ての母と私〉

〈生みの母と私〉

大正生まれの母は、大正~昭和~平成~令和と4つの時代を生きたことになります。 大したもんだと思います。

連休中、村は田植えのシーズン。 水の張られた田んぼはとても美しい。いつまでも残して欲しい風景です。

「花まつり」が終わって、7月のお盆までが私にとって、もっとも自由な時、
いままで手をつけられなかったもろもろの案件を片付けて、できればちょっとでも旅をしたいと思っています。