山寺の
和尚さん日記

100年後の期待

興徳寺の桜が有名になったのは、あるカメラマンの1枚の写真だった、と言われています。

富士宮市小泉の立川恒春氏の作品で、平成5年の4月と記されています。
何かのコンテストで入賞し、それをきっかけに多くのカメラマンが訪れるようになったみたいです。
(”興徳寺のしだれ桜” と呼ばれるのは、この木のことですが上の方に伸びていた枝は20年ほど前に落ち、このような写真はもう撮れなくなっていました)
実はこの興徳寺のシンボルともいえる推定樹齢200年余の「古木」を伐採しました。
石段の脇にそびえる4本の古木のうち、下からの3本が内部の空洞化(洞)が進み、倒壊あるいは枝が落下して人身事故につながる恐れもでてきたため、まさに≪断腸の思い≫で決断しました。
――今まで多くの人を楽しませてくれた、もう見ることのできない桜たちを紹介します――

この4本のうち、下から1番目と3番目を伐採、2番目は張り出した枝を撤去しました。


これは下から見たところ、この大木ももうありません。

4本の桜を横から見る。1番上の木だけは残っています。

一番下の桜を横から

有名になった件の「しだれ桜」は上の枝はありませんが、まだまだ見栄えがします。

推定樹齢200年以上、の根拠がこの石碑。
石段が出来た時に建立されたもので、「天明元年」の文字が刻まれています。
天明元年は1781年、今から238年前でこれらの桜もその頃植えられた、と推察する所以です。
せめて皆にお知らせをして、今年の花を楽しんでもらったあとに伐採することも考えたのですが、花見客あるいは花まつりの客に落下のリスクもあり、それより新しい桜を植えることを早くしたいとの思いで、今回の決断に至ったわけです(桜の植樹は冬と決まっているので)。

幹には大きな洞(うろ)、近所の90歳になる長老が子どもの頃、この洞に鳥が巣を作っていたとのこと、その頃にすでに100年は越えていたのだろうと裏付ける証言でもあります。

伐採前のセレモニー

3本の木に 注連縄(しめなわ)、お経をあげて、たっぷりのお神酒を注いで・・・


一番下の木

二番目の木

三番目の木(しだれ桜)
〈伐採〉

2台のクレーン車を使って・・・


空洞が幹を貫いていた

〈植樹〉
新しい木を植えるにあたり、植木屋さんにお願いしたのは ただ一つ。
「100年後に価値の出る桜を選んでください!」

先人が遺し、代々受け継がれてきた大切な宝を私の代で終わりにしてしまった・・・
その忸怩(じくじ)たる思いを、せめて100年後に伝えたい、と思います。
望月造園の社長さんが 「はい分かりました」 と請け負ってくれました。

新しく植えた木、高さ6m、幹の周囲が50cm、15年ほどの八重の枝垂れ桜です。

100年後が楽しみです。


2月も半ば、そろそろ「興徳寺便り」を始めて、お彼岸の卒塔婆を書いて、「花まつり」の準備、
3月に入ったら「彼岸のお経廻り」が始まります。
2月は28日しかないので、もたもたしていられません。