山寺の
和尚さん日記

通夜の長さ

先日、知人のお母さんが亡くなり お通夜に参列しました。 他宗で お経も異なるため、一般席に座っていたのですが・・・
開式間もなく お焼香が始まり、その長い列が途絶えて間もなく、お経も終わり、閉式。 導師様は 祭壇横の扉から スタスタと退場、 開式から閉式まで 遺族の挨拶も含めて25分間、でした。 
「短いッ」というのが 私の感想。
ところが 駐車場に向かって歩いていると、後ろから 男の人の会話が聞こえてきた・・・
「短くて助かった~」
「ほんとに」

私の通夜は 約45分間、
「興徳寺さんは 丁寧で・・・」という声も聴かれますが、 「興徳寺は 長い」と言われることもあります。 前者は おばあさんたち、後者は気のおけない同級生たちです。
お坊さんになったばかりの私は とにかく丁寧に、そして基本に忠実に、と日蓮宗の教科書に則った 式次第で法要を勤め、そして法話(通夜説法)を行います。 当初は法要が35分、法話が15分で計50分でしたが、意識的に少し短縮しました。
私の師匠は「亡くなった方の霊に対して お経をあげているのであって、参列者のためでは、ない」と言います。 お経をはしょるなどもっての他だと・・・ 
私がもっとも力を入れるのは、「法話」。 絶好の布教のチャンスです。
まず 聴いてくれるという体制が整っていること、皆がとってもスナオな気持になっていること、そして 参列者には他宗の方も いっぱいいるということ・・・ このような機会は、めったにあるものではない。

私は、故人の足跡を紹介して、その生き方の中から、仏教的な学びを導き、最後に全員にお題目を唱えていただく、というスタイルをずっと通しています。
内容は毎回変え、固有名詞や、固有の数字(誕生日など)がいっぱい出てくるので 絶対に間違いは許されず、それはそれは緊張します。 「紙も見ないで よくペラペラしゃべるもんだ」などと言われますが、それだけ練習して臨むからです。




檀家さんのおばあさんが亡くなって、昨夜が通夜でした。 法話を10分間でまとめたかったのですが、結果的には12分かかってしまいました。
とっても元気で明るい方でしたが、突然 右腿が腫上り、かかりつけの病院では 病名を特定できず、痛み止め注射を打っただけ、その翌日、「今日も病院に行ってくるから・・・」と言って、息子夫婦がそれぞれに勤めに出た後、自宅で亡くなった・・・ 警察医の推定死亡時刻、午前10時、夕方 帰宅した お嫁さんが第一発見者でした。
 未熟な私は 遺族を慰め、参列者を納得させる言葉を持ち合わせていない、 
でも、語らなければならない・・・ 

「親切とおせっかい」にも似て、 
一方的な押し付けにならず、
自己満足に終わらないよう、
慣れから来る 慢心を起こさぬよう 
これからも研鑽してゆきたい、と思います。
短い通夜が 歓迎される、 葬儀の中で 初七日、49日忌の法要も一緒に 執り行う、 葬儀はやらない、
すべて 生きている人の都合で 決められてゆきます。
葬儀の主役は 亡くなられた方の 霊 ではないのでしょうか?