興徳寺の情報交流

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興徳寺の情報交流-紙上法話

第96号(復刊第21号)平成24年お盆

いま おわったのだ  そして はじまったのだ

さくらの はなびら       まど・みちお

えだを はなれて
ひとひら

さくらのはなびらが
じめんにたどりついた

いま おわったのだ
そして はじまったのだ

ひとつの ことが
さくらにとって

いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって

あたりまえすぎる
ひとつのことが

かけがえのない
ひとつの ことが

 

まど・みちおさんは、明治42年、山口県生まれの詩人。今年百二歳。
童謡「ぞうさん」等の作詞家としても知られています。

 

 桜の季節、興徳寺の境内は、今年も、多くのカメラマンや、花見の客でにぎわいました。 
満開の桜は、たとえようもなく美しいものですが、桜はまた、その散り際のはかなさ、潔さが、ムカシから多くの詩や歌に詠まれてきました。

すべての命に終わりがあります。ですが、終わりはまた始まりでもあります。
私たちの生命(いのち)は、例えば、葉っぱの上の一滴の露。ポロリと落ちて地中に滲みこみ、蒸発して、雲になって、雨になり、河から海に注ぐ・・形を変えながらも、永遠に続く流れの一部だともいえます。

 「涅槃経(ねはんぎょう)」というお経に中に『一切衆生 悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)』という言葉があります〈命あるものはすべて、仏の本性を備えている、仏になる可能性を宿している〉という意味です。

私たちはだれもが、将来仏になれる種を持って生まれてきました。
生きているということは、苦しいこともいっぱいあるし、自信をなくすこともあるでしょう。そんなとき、自分のなかに仏さんが住んでおられる、守られているんだ、と信じられたら、少し楽になりませんか?
また、他の人にも、他の生き物にも同じように仏さんが宿っていることを認めたら、すべての命は、平等で大切だ、ということに気づきませんか?

『花は根にかえり、真味(しんみ)は土にとどまる』
これは、日蓮聖人の報恩抄(ほうおんじょう)というお手紙の中の一節です。

――美しく咲いた花は やがて散り落ちて、根の養分となり、熟した果実も 樹の下に落ちて 本当の味を土に残して若い芽を育てます――

心に咲かせた美しい花が、 誰かの心で実を結ぶ。
かけがえのない
ひとつのことが はじまる・・・

 


【写真提供 高瀬幹雄】