山寺の
和尚さん日記

60日

母が逝ってから60日が過ぎました。

7月も末で、最低月1回はブログを更新したいのにネタがない。 写真もない。

何をしていたかと言えば、ボーッとしていたわけではなく、毎日毎日が時間に追われて過ぎていったような気がします。

7月10日に『49日忌』の法要を行いました。

母の兄弟も高齢で遠くに住んでいるため、私の身内家族と日頃お世話になっている「隣保班」の方たちだけに参列していただき、法要の後、下のピザ窯でピザを食べてもらいました。 2年前に完成して以来、コロナ禍、1回試運転をしただけでいわば今回がお披露目みたいなもの。

ピザ担当の泰潤にとっては25枚のピザは結構ハードルが高かったみたいですが、卒なくこなしてくれて参加者の方たちにも喜んでいただけたこと、何よりでした。 (ピザ窯のお披露目は、お葬式で大変お世話になった隣保班の皆さんへのお礼としてよい機会だと簡単に考えていましたが、ピザ生地を48時間寝かせたり、ピザスタイルはナポリ風がいいか?それともそれとも・・・ と とても苦労した様子、凝り性なんですね)

あれからまた1ケ月が過ぎて、「新盆」の精霊棚を準備しました。

ポツポツと焼香客が来てくれています。 

新盆を迎えるお家にお焼香に伺うのがこの地域の習慣です。

早い方は7月20日過ぎから来られるので、それまでに棚を準備し、誰かが留守番をしていなければなりません。

で、母のことをやっぱり考えていました。

未だに泣くこともないけれど、会えない、触れ合うことのできない”寂しさ”を意識します。

それで母の写真を引っ張り出してきました。

【1948.4.18.一番古い父と母のツーショット、何と結婚式の1週間前。想像ですが打ち合わせに父が母のところに行ったんだと思います。父25歳、母22歳】

【同年 6.1 よい嫁が来てくれたので「七面山」にお礼の登詣だそう。新婚旅行か?】

【1953.4.26 双子の妹と3才の私】

【1958,4 32歳】

【1962.1.1  母36歳、私12歳  双子の妹と亡くなった弟、家族全員です】

父がカメラ好きだったので、あの時代にしては写真が多く残っているのですが、この後はあまりいいものが発見できませんでした。
残されたアルバムはかなりの数ですが、狭い納戸に潜って探すにはきょう(本日)が暑すぎることも私のやる気をなくす要因ですが・・・

それで思い出したのは私の新婚時代、札幌に住んでいた私が雪まつりに母と妹を招待したこと。これはアルバム1冊分なので容易に探せます。

【1976.2月 50歳、雪の中、何と着物に草履。当時お出かけするってこういうスタイルだったんですね~

左は妻・初代、中は妹の千春】

【時計台の前、私も若かった】

ここから一気に飛びます(理由は暑くて探す気力が失せたから)。

認知症の初期の頃・・・

【2010.8月 83歳 心からの笑いがなくなってきた・・・】

お母さんを亡くした男の人に聞いてみました。

「お母さんが亡くなった時、泣いた?」

泣いた、と答えた人と 泣かなかったと答えた人、半々くらいかな、

余命宣告受けて、それでも病院のベッドの上でがんばってがんばって最期の時を迎えた・・・こういうケースは泣くみたい、

自宅でとことん介護した人って、「泣かなかったな~」

「もっとこうしてやればよかった」「あんなこと言うんじゃなかった」「あれを聞いてやればよかった」・・・たいていは後悔を残す。

でもそれはそれでとても大切なこと、

亡くなった人との向き合い方に、こうでなければならない、なんてセオリーはないな~と思います。

喪失感を埋めるためではありませんが、犬を飼うことにしました。

憧れの 甲斐犬(かいけん)

7月2日生まれの雄で 松永隼斗(はやと)と名付けました。

まだブリーダーに預けてあります。 9月末に迎えようと思います。

隼斗の母親。

泰然の母親。【2022.4月、今回の人生最後の写真です】

「おかあちゃん、いいな~」

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