山寺の
和尚さん日記

7月1日

昨日から 7月、
1年の半分が終わってしまった、ということ、
私にとっては 4月の「花まつり」が終わってから6月末までの 約3ケ月が 1年でもっとも自由な時間がとれるときで、 春の訪れとともに それはそれは 胸のときめく時でもありました。
  
それが 終わってしまった・・・ 東北に一回行けたことはヨカッタ、 
北海道に行けなかったことは、残念だった・・・    でも他に 何ができたというのか? 
毎年 この日を迎えては ため息をつく私・・・



7月1日は 妻の命日です。 今年で 丸8年、仏式にいえば 「九回忌」です。

今年も妹たちが お墓に
妻の好きだった ひまわりを供えてくれました。 
感謝!
妻のお母さんも毎年来てくれます。


ブラジル時代、 小さな建築会社を営んでいた私は ある顧客とのトラブルから 多額の借金に苦しんでいました。 もがいてももがいても 奈落の底に落ち込んでゆくような苦しみの中で 妻が私を支えてくれていました。
霊感が高く、占い好きで、 明るい人でした。
私の掌をとって 「ケンちゃんの運命線、すっご~い、50過ぎたらすごくなるよ~」
「もうじき サンパウロからちょっと離れた町で 大きな工事の契約にサインするってよ~ ○○(友達の占い師)が言ってたよ~」 「ダイジョウブだよ~ だいぶよくなってきたよ~ 心の扉が開き始めている、明かりがもれだしたよ~」そんな言葉を いつも私に投げかけながら、 ちょっと 小首をかしげて 「ホントは お坊さんになるのが 一番いいんだけどね~」 と あやしげなことをつぶやくのでした。

弟の葬儀に戻ってきて 突然 近くのお寺のご住職から 「ブラジルを引き払って 坊さんにならないかね、それが一番いいんだけどね」との話を受けた時、 ブラジルの妻に電話をすると 「アタシはそうなると思ってたよ~ お父さんが 今日まで生きていてくれたってことは そういうことなのよ、 きっとイイお坊さんに なると思うよ~」 そして 「アタシは 当分 帰んないけどね~」 と付け加えました。
『インデペンデンテ(自立)』 を信条とした 妻、
53年の人生の最後の1年、きっちりと自立を果たし、思うがままに生きた。 それはそれは 彼女にとって 密度の濃い 1年だったのでしょう。


2005年6月、9日間に渡って 日本の政府関係の旅客2人を案内し、16日深夜、空港の出発ゲートで 二人に手を振って見送った後、不調を訴え、 そのまま 車椅子で空港内の診療所に運ばれ、テーブルにバッグを 置いて意識を失った、

プロのガイドが 自らの戦場で 
きっちりと仕事を終えて 逝った、 
「カッコイイジャン!」と 息子たちと・・・

7月1日、松永初代とともに 松永賢一が死んだ・・・ 
同日 泰然が生まれた・・・


7月のお盆~8月のお盆~お彼岸・・・と一年で最も 大変な時期が 始まりました。 気をひきしめて 精進します。