トイカンベツに 行ってきました。 実に33年ぶりのことでした。
特急の停車駅、 「天塩中川」 に出迎えてくれたのは 「加藤のおっかあ」こと 加藤幸子さん、
(加藤のおっかあ=あの時代、この地方での 独特の呼び方、 加藤さんのおばさん、を親しみこめて呼ぶと こうなる)
立場でいうと 私が 主任技術者で
おっかあ は 地元採用の作業員、
ご主人は 現場の作業長で
このご夫妻には 公私ともに
大変お世話に なりました。
残念ながら ご主人は 23年前に 交通事故にて他界、
酔っ払い運転の暴走車が センターラインを超えて 正面衝突し、
同乗していた 奥さんと 娘さんは奇跡的に 助かったのだそうです。
33年ぶりの 対面でしたが 何の違和感もありませんでした。
当時 私は 札幌に本社をおく 「北海道建設工業㈱」 という会社の 技術社員、
希望して この 問寒別出張所に 配属してもらいました。
この 小さな地域は 当時の 北海道の 開発の 最前線、
新しい道路の建設、 河川の改修、 放牧場の整備 等々・・・
膨大な国費が投入され、
大小の建設会社が ひしめきあっていました。
住民は 農家や 公務員以外は ほとんどが建設作業員でした。
やがて 一通りの 仕事が 終わり・・・
建設会社も その役目を終え、 住民たちも チリジリになりました。
「北海道建設工業」も 数年前に 撤退し、 札幌の本社も 昨年 倒産、
看板を外され 閉鎖された 事務所は 「エツ こんな小さかったか?」というのが まずの印象でした。
これは 前回紹介した 問寒別駅 の現在の姿です。
さび付いた貨車が 駅舎の代わり、
「なんぼなんでも これはないべさ~ 」と言いたくなるような みすぼらしさです。
宗谷本線 問寒別駅 です。
33年ぶりに この地を訪れて 思ったこと、
それは 懐かしいとか 感慨深い とか そんなことではなく
ただ 33年という時間が 流れた・・・ という 当たり前の事実、
自分が 手がけた 現場を 訪ねてみました。
でも 何も 見つけることができませんでした。
(↑) や
新設の 道路工事・・・
でも あれほど苦労して 完成させた 工事現場を、 「ここだッ!」 と 特定できないのです。
天塩川の 河川工事、
築堤の中に 埋もれるように 「樋門(ひもん)」を見つけたとき初めて 「これは 自分が手がけた工事だ」 と 分かりました。
(close up ↓ 樋門)
「ペンケオートマップ川」という 天塩川の 支流です。
右側が堤防、 左側が 川なのですが 柳の木が 生い茂って まるで 密林のよう、 どこに 川があるのかすら 見えません。
33年という 確かな時間に ただ 唖然!
これが 天塩川です。
「記憶とは 想起した瞬間に作り出されている何ものか、である」 と言われたのは 「動的平衡」など多数の著作をもつ 福岡伸一氏、
「過去とは現在のことである、懐かしいものがあるとすれば、それは過去が懐かしいのではなく、今、懐かしいという状態にあるに過ぎない」 と・・・
私は すべての 記憶は 潜在意識の中にインプットされている、と考え、 それを 何とか アカデミックに 証明したいのですが、 今回のことは どう捉えたらいいものかと・・・・
問寒別は 私にとって 社会人のスタートの地。
よく働き、 よく酒を飲み、 良き人に恵まれ、とても 楽しい 充実した日々を過ごしました。
今、 「トイカンが こんなに変わってしまったんだぜ~」 と 写真を見せられる人が 誰もいない・・・