山寺の
和尚さん日記

不平等という平等

今週は 頼まれた 講演が2回あり、 時間と エネルギーの大半を費やしてしまいました。
1つが 「結核予防婦人会」というボランティア団体の 総会の後の「研修会」で、
もう1つは 市内の 「女性学級」の「講座」、それぞれに 1時間と1時間半でした。
どちらも女性会員ですが、年齢層が 少し違うし、何よりも どちらの会にも 出席される方がいることを知って、別の内容で 準備しました。
レジュメとかメモは見ないので 当然のことのように 原稿ができたら 稽古をします。 通し稽古だけでも 最低3回、 ストップウォッチ片手に 時間配分などを調整します。  
終わると、本当に ホッとします。
今年の予定が 10回、 やっと3回が終わりました。



 
東海地方は 昨日(6/8)梅雨入り宣言。 
朝から雨だと 何となく嬉しい・・・  来客もないし、山の仕事も やりたくてもできない(?)・・・
何をしようかな~ と思いながら、 とりあえず 長靴はいて 雨の中、 これがまた とってもいいんですね~

法華経というお経のなかに 『三草二木の譬え(さんそうにもくのたとえ)』という お話があります。
天から降る雨は あまねく平等に降り注ぎます。 
高い所にも 低い所にも 
 大きな草にも、中くらいの草にも 小さな草にも、
  また 大きな木にも 小さな木にも・・・ 
それは 仏さまの慈悲に 譬えられます。 
ほとけ様は 貧富や身分の差別なく、
生きとし生けるもの全てのために 平等に教えを説かれているのです。
ですが 大きい木は たくさんの水を、
小さな草は 少しの水を受け取るように、
教えを受け取る私たちの 立場や心の持ちようによって 
さまざまな 差別(しゃべつ)が生じるのです。
絶対平等を説く 仏教に顕れるこの差別(しゃべつ と 読みます)という言葉、 
ほとけ様の教えは ただ一つなのですが 
受ける側の 機根(きこん=心のありよう)によって はからずも差が生じてしまうことを意味します。 
でも この差というのは 最終的に 目的に達するための 通り路なのです。

 

一見 不平等に見える 絶対平等。 
社会的弱者に対する救済や 子どもに対する教育や はてまた被災者への救援 等々・・・ 
深~い 仏の知恵を 生かして欲しい、 
降りしきる雨の中、 そんなことを  思いました。 




ガレージに作ってあった つばめの巣、 はがれて 床に 落ちた。

もう 落ちないように、と 台をつけたのだけど
つばめ はガレージの中で Uターンを繰り返すばかり・・・
「ほら ここ、 ここッ」 と指差してみても 
見えてんだか 見えてないのか、
落とした巣を 戻しても 使わない、と聞いたのですが・・・
どうしたら いいんだろう・・・
だれか 知っている人 いますか?



           村を流れる 「芝川」。  遡ると 前に紹介した 「白糸の滝」 です。
*6月12日から 3泊4日で 北海道に行ってきます。 
ムカシ住んでいた  幌延町を訪ねてみます。 最北端まで 100km足らずのところです。