昨夜、戻りました。
訪れたのは 「計画的避難区域」に指定されている 伊達郡川俣町山木屋地区と飯舘村、
原発から40㎞も離れた この地域に暮らす人々にとって 被災者であるという認識はありませんでした。 ところが 震災から1ケ月以上も経った 4月22日、国は 全住民に避難を指示したのです。
津波の被災地と異なり、のどかな田舎の風景、 冬でもあるし 人の姿が見えないことも、それほど違和感もありません。 でも 近づいてみれば いわゆる 生活の臭いが 何も感じられない。
政府は ここにきて「除染」を始めました。
田んぼ の表土を めくる
高圧洗浄機で 洗い流す
「除染をして お返しします。 そのときには 戻ってください」
でも 話はそんな単純なことでもないようです。
山木屋地区で 牧場を営んでいた 菅野浪男さんに お話を伺いました。
避難者に対する対応は 4つに分けて 考えるべき と・・・
① 高齢者; 放射線量が一定の基準値以下になったら 戻ってもらい、買い物・医療・除雪等を行政が支援することで 復帰は可能。
② 仕事を外に持ってしまった人;福島市あるいは 県外等に職を見つけた人たちは、帰る必要がない、あるいは 帰っても雇用がない。
③ 子どもを守りたい人;子どもをもつ親御さんが 安心できる環境作りは 当面難しいのでは・・・
④ 専業農家;広大な農地を莫大な費用(1ヘクタールあたり1億円とも)をかけて除染しても、元のような生産は望めない(除染で農地の命である表土を剥がされる等) また生産開始できても 農産物が消費者の支持が得られるか? 除染よりも代替地や 設備費の保障を希望する人も・・・
菅野さんの牧場、
牧場内の 排水溝で ナント 114,5マイクロシーベルト/h という
一瞬 桁を間違えたかと思われるような 高い線量を測定、
新鮮野菜直売所 で 見かけた 「つるしびな」
「いつか帰る日を つるしびなに 託して」
「元気で はやく戻ってこれますように」
「みんな 元気でね」
などの 貼紙とともに
除染が済んで 皆で笑って暮らせる日が本当に来るのか?
「絆」という言葉が 復興のキーワードになっていますが 家族の絆をズタズタにされた方たち、
お年寄りは仮設住宅に、若い方たちは 町へ というケースも多い そうです。
あれから 10ケ月近くの日が過ぎて、 「1日も早く帰りたい」 と言っていた お年寄りの中にも 「町でもいいから 前のように 子どもや孫と一緒に暮らしたい」 と思う人も でてきている、
と 山木屋農村広場自治会 廣野太会長 より伺いました。
仮設住宅自治会事務所前にて 左から 私・相棒 幹雄ちゃん・菅野さん・廣野会長
放射線という目にみえないものに 怯え続けるこの不安感は 津波の被害とはまた異なり、とても残酷です。
柿畑の 摘み取られなかった柿、 とても悲しかった・・・
改めて、
今 何が必要か? 何が 必要でないか? そして 私たち一人ひとりに 何ができるか?
自らに 問いながら 行動してゆきたい、と思います。
寒行のお知らせ
1月21日より 「寒行」が スタートします。 21・22・23日は 興徳寺よりの スタートです。
凍てつく夜の道を 団扇太鼓を叩きながら 一緒に歩いてみませんか。