山寺の
和尚さん日記

妻の七回忌

一昨日は 妻の 「七回忌法要」でした。
七回忌ともなれば 身内でささやかに・・・ という方も多いですが 妻と仲がよかった方たちに、それなりに 遠慮がちに ご案内を差し上げたところ、 関東方面から数名、西は広島からも 来てくださって 総勢50余名・・・ 
ただ 感謝、です。




妻の 好きだった 白百合や ひまわりの花、 それに好物の ドラヤキや ミカンが 差し入れられ、 にぎやかで 暖かな 法要になりました。

妻のことは 昨年のブログに 書いたので 興味ある方は 覗いてください。
http://kotokuji.eshizuoka.jp/e583366.html 
ブラジルで私は 小さな建築会社を経営していました。
2年目に 経営トラブルに陥り それからの足掛け10年は まさに自転車操業、 いつ倒産してもおかしくないような状態で 何とか保っていたのですが そんな時 妻はいつも 私を励ましてくれるのです、
それも具体的な言葉で・・・ 
「ダイジョウブよ! 会社は もうちょっとで よくなるから」 
「ケンちゃん(私のこと)は 50歳を過ぎると 一気によくなるヨ」
霊感体質で 占いが大好き、私は 嫌いなので 聞いて聞かぬふり、 でも正直言って よく当っていた・・・ 
そして 励ましの言葉の後、 不思議な言葉を つぶやく・・・
「本当は お坊さんになるのが 一番いいんだけどネ~」 
・・・それだけは どんなに想像しても 考えられない事でした。 
  ブラジルでは もちろん まして日本でなど 夢のまた夢・・・
前に紹介した(5月8日) ユメちゃんhttp://kotokuji.eshizuoka.jp/e720680.htmlこと 岡澤優明子さんも 裾野市から 来てくれました。
妻は 亡くなった年の1月、私の得度式に出席するため ブラジルから来ていたのですが、そのとき ユメちゃんが訪ねてくれました。 初めて出会ったのに 二人は意気投合し、 私をそっちのけで 延々と話が弾んでいました。 

  (右から 3番目が 
   ユメちゃん)

妻が 亡くなった後、ユメちゃんからいただいた メール。
― 前半略 ―
彼女は今、ブラジルではなく、あなたのそばにいます。
彼女の大きな愛が選択したのです。
悲しみは時とともに薄らぎますが、淋しさはときどきあなたを苦しめるかもしれません。
彼女は言いました。
「私が一緒にいたら彼の修業を長引かせます。彼は破れた足袋は自分でつくろい、寒い夜明けの掃除に耐えねばなりません。それが修業です。私はそれをあえて手伝わない選択をしました。早く一人前になる必要があるからです。私たちは空港でチャオ、さよならといって抱き合いました-。」

彼女はみごとにあなたを自立させて逝きましたね。
でもあなたのそばにいたかったのでしょう。
これからはあなたのそばで、ずっと続く修業の道を、導き助けて行くでしょう。
この寂しさをとおり抜けることが、彼女がくれた卒業試験かもしれません。
泰然さん、あなたには彼女のほかにも、たくさんの仲間がいますよ。
愛と勇気をおくります
ゆめこ

当時の 私には理解できなかったことが ひとつひとつ 形になり、 今、 妻の七回忌の導師を私が 務める・・・  すべては 完璧なシナリオの通りです。


 
本当は 昨日から明日までの3日間は 北海道に滞在しているはずでした。
妻と5年間過ごした 最北の地 天塩郡幌延町問寒別(といかんべつ)。 ここを33年ぶりに訪ねる事にし、かつての同僚、 ハラちゃん にも札幌から来てもらい、 加藤のオッカアこと 私の測量助手をずっと務めてくれた 加藤幸子さんにも会う段取りだったのです。
友人のオネエサンのご主人が亡くなり、 「その日が来たら、ケンちゃんにお願いしようと ずっと決めていたの」 とお姉さんからの電話。 友人の実家も ご主人の實家も他宗なのに・・・です。 ありがたく お受けいたしました。
 お寺の宿命です。 
母には ショートステイに行ってもらったので 私ひとり の夜です。