山寺の
和尚さん日記

行ってきました

昨夜、宮城県東松島市より 戻ってきました。
以下、 そのレポートです。
3月29日、朝4時 出発。 
ミキオちゃんこと 高瀬幹雄君と お嬢さんの 理絵ちゃん(大学4年生) と 私の 3名、 
ミキオちゃんの ワゴン車に 満載の下着と 我々の食料、寝袋、それに帰りのガソリン等 で 座るスペースを確保するのが やっとの状態でした。
目的地、東松島市大曲小学校避難所 には 13時に到着、 途中 冠水していて 一般道を迂回した部分もありましたが 600kmを9時間は まずまずのペースであったと思います。(ミキオちゃんには 往復の全行程を運転してもらい 本当にお疲れ様でした)

大曲小学校は 海から2km、1階は冠水し 未だヘドロが堆積していました。ここは当初、700人が避難しておりましたが 現在は300人、 新学期の準備を控えた学校側との 調整があるようでした。
2階の本部を訪ね そこで働くボランティアの方たちに 協力してもらって すべての救援物資を運び入れ、無事お渡しすることができました。 震災後20日を経過し、食料・水等は、行き渡っているようですが 下着に関しては 今まで支援がなかったそうで 大変に喜ばれました。
 
学校の前から 海方向に広大な水田が広がっています。 その何十haという規模の水田が、冠水し まるで湖のよう(冠水規模は200ha)。 
津波が 川を逆流し 堤防が決壊、 併せて 地盤が沈下したことによるものだそうですが 道路の先は湖に消え 根元からなぎ倒された電柱が 津波の破壊力のすさまじさを 示しています。
 
市のボランティアセンターにて ボランティアの登録をし、その夜は 車中泊を覚悟しておりましたが 市役所のはからいで 避難所に 寝かせてもらえることになりました。
東松島市コミュニティセンター(通称コミセン)、約250名の方が、 ホールや通路にビッシリと 起居しています。 そんな中で 3名分のスペースを作っていただき、 さらに 被災者の方から 段ボールなども提供していただき まったく恐縮してしまいました。 
「お互いさまだから」と、  私たちは 何も困っていないのに・・・




でも、その夜は大変に冷え込んで 車は凍ってバリバリに・・・



足を延ばして、暖かく休ませていただいたこと 本当にありがたかったです。 それに加えて、何よりも よかったことは、被災者の方から直接 お話を聴くことができたことでした。
 床上浸水した家で 寒さに震えながら2昼夜を過ごし 自衛隊のゴムボートで救出された方、
 造船所のドックで1万トンの貨物船を建造中に いきなり船が浮かび上がり 沖に流されて、1昼夜漂流した後に ヘリで救出された方、 
 親子3人がバラバラになり ようやく再会できた家族、しかし おばあちゃんは 腕を骨折しているのですが 痛み止めを2日分与えらたのみでギブスの処置もされていない・・・ 「他にもっと重症の方がいるから」と・・・
 3ケ月前に嫁いだ娘さんが 海の近くに住む、舅さんを助けるため わざわざ赴いて そこで波に呑まれた話、 この方は40kmほど離れた町にいて、娘さんの消息を訪ねて通ってきていたのですが ガソリンが 手に入らず ここでお世話になっているとのこと、 「誰かと一緒に いたほうが 気が休まるし、 ここ2~3日かなぁ~ 笑いが戻ったのは・・・」 と 小さく笑ってくれました。 娘さんが保育園の頃に 離婚をし、以来、男手一つで育ててきた とのこと・・・  
今回被災された 何十万人という方々の それぞれに 悲しいドラマがある、 ということを 改めて知らされました。





翌日は、 ボランティア作業に。  
被災された方々の要請に基づいて 市がボランティアを派遣します。 午前と午後 2軒のお宅を 6~7名のチームで伺いました。
どちらも 一人暮らしの お年寄りの家で、水に浸かった 畳・家具・電化製品等を撤去するという作業でした。
水を吸った畳の重さ、 大人が3人がかりで やっとでした。 
そして ヘドロ・・・ 田んぼの泥の臭いでもなく 海水の臭いでもない 何ともいえない悪臭を放つ、ヘドロが 床上、床下に堆積しています。 驚いたことに 畳の下、床との間にも ベッタリ・・・ それらを角スコップを使って 撤去し、最後に水をかけて デッキブラシで 洗いました。
 
泥まみれ・・・
 
全身の力を込めて 物を動かすことなど 久しくやったことがなかったので 筋肉の痛みと 肉体労働の爽快感が残りました。
つくづく思ったこと、
東北の人たちの やさしさ、忍耐強さ、
3週間も経てば 苛立ちや イザコザもあるだろうに 声を荒げるような人を見かけませんでした。 
皆がそれぞれの立場をわきまえながら 他人に気を遣っています。
信号のない交差点でも お互いに譲り合い、クラクションを鳴らすこともない。
避難所に暮らす人々の 被害の状況もさまざまで 家も財産もすべて流出して 着のみ着のまま避難した人もいるし ここに起居しながら 昼は家に戻って片付けをしている人もいます。
仮設住宅に 入居できるまでの期間、 人によっては 半年~1年をここで暮らすとしたら、 これからは プライバシーの確保とか 洗濯のできる環境とか、食事のバランスとか お風呂だとか より質の高い 援助が求められます。 私たちは それに対して どう関わっていけるのか?
状況は刻々と変化しています。 これからの 救援物資は 必要なところに 必要なものを 必要なだけ届ける、というキメ細やかさが必要とされます。 今なら 時間的・体力的に許せる人なら 是非、ボランティアに参加してみることを勧めます。
避難所に暮らす人々に 共通して流れているものは 失ったものについては「仕方がない」という アキラメの気持ち、 そして これからのことについては 「ガンバロウ!」という希望、 助けに行ったはずの私たちが 逆に大きな勇気と感動と 学びをいただきました。
これからも 共に歩いてゆきたい、と思います。



   ようやく咲き始めた桜が 迎えてくれました。 例年より1週間遅れです。

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