山寺の
和尚さん日記

我他彼此

1昨日の土曜日は台風14号が 接近していたので 場合によっては 本堂に雨戸を立てようかと思っていました。 幸いにも 風雨とも大したこともなく その必要もありませんでしたが、戸が古いので スムーズに動かず 少々手間取ります。
翌日、つまりは昨日ですが ふっと思いついて これを法話の ネタにしてやろうと 法事の後、
我他彼此 と ホワイトボードに書いて 「さぁ~ッ 何と読むでしょう?」 
・・・誰も答えられない。 
「これは ガタピシ と読みます。 古い戸が 良く動かない事を ガタピシいう などといいますね、 これは 我=オレだとか 他=オマエだとか あるいは 彼=アイツ(が悪い) だとか 此=コイツ(が悪い) だとか お互いが譲らずに ギクシャクしている様子 からきているんです」と言ったら ある程度の年齢の人たちは 「ヘエ~ツ」と喜んでくれましたが 若い人は ポカンとしている。 恐る恐る 「意味 分かりますよね?」と聞いたら 「よく解らない・・・」
聞いてみると、たてつけの悪い ガタピシするような戸など いまどき どこにも無く したがって そんな言葉も聞いたことがないとのこと。 雨戸というものさえ知りませんでした。
「それじゃあ 機械が古くなって ガタがきた という言葉は? ここからきているんだけど・・・」というと、 「アァ その言葉なら聞いたことがある」と 少し納得してくれました。 
それで法話の後、雨戸を 引き出して見せてあげました。


興徳寺の本堂は 今だ 木のガラス戸です。 
私が幼い頃、庫裏には ガラス戸はなく 障子の向こうは縁側で、毎晩 雨戸を引くのが私の役目。 
これが それこそ ガタピシで 苦労しました。 
朝日が射すと 節穴を通して 外の景色が逆さまに 障子に映る。 針穴写真機の原理ですが カラーの風景写真が いくつも 障子に広がる様は とっても不思議で幻想的でした。
ガタピシの言葉とともに 消え去ってしまうのでしょうか・・・
ところでこの「我他彼此」、仏教を説明する言葉として 使われます。
私たちは とかく 右か左か、とか 白か黒か、というように 物事を決め付けたがる。 しかし 絶対的な 右だとか 絶対的な白 というものはないのです。 仏教の根本思想である「中道」という考え方は、両極端にとらわれないこと、絶対、と決め付けないこと を基本とします。 
自分にできたことを他人に押し付ける、 できるはずだと決め付ける。 あるいは じぶんが かつてできたことが できなくなると こんなはずじゃなかった と落ち込む・・・ それは 若くて体力があった頃の自分が 最高!と決め付けるからです。  
「そんな風に ガタピシいわせて生きるより 執着から 離れて 柔軟に生きる事が 大切ですよ。」 と お釈迦様が 教えてくれました。
           石蕗(つわぶき)





池の周りの 石蕗の花が 満開。
「アタシが 嫁に 来た時には もうここで咲いてたよ」
と 母が ぽつり・・・

 本日、久しぶりに 富士山が 顔を出してくれました。
頭にチョコッと 雪を載せ 何ともイジラシイ・・・