山寺の
和尚さん日記

ブラジル報告

10月24日、ブラジルへ向け出発し11月4日に帰国しました。
計12日間ですが時差の関係もあって 現地では正味1週間です。
約10年ぶりの訪問となりましたが、24年間も住んだ土地なので、皆が 「お帰りなさ~い」と迎えてくれました。
10年という時間、久しぶりに会った友の顔を見て一瞬「アッ、年取ったなッ」と思うのですが、それはお互い様のことで、話せばすぐに過去に戻ってしまうのが不思議です。

「サウダーデ」
とっても懐かしいこと、それも恋焦がれるほど懐かしいことを 「サウダーデ」と言います。 人でも景色でも 食べ物でも・・・ ブラジル人はよくこの言葉を使います。 私も大好きです。


最初の歓迎会、「何食べたい?」と聞かれて すかさず「アホース(米)、フェイジョン(豆)、ビッフェ(肉)」と答えた私、ブラジル・サンパウロのもっとも大衆的な料理、お昼ご飯の定番で、毎日食べても飽きない、シンプルな食事です。 値段的にも安いものなので、ごちそうしてくれる側からしてみたら、ちょっと困ったみたい・・・ でも私の「サウダーデ!」という一言で、皆喜んでくれました。

どうしても食べたかった料理「ムケッカ」も、友達が連れて行ってくれました。
土鍋で魚介類、トマト、タマネギ、ニンニク、を煮たもので、マンジョッカという芋の粉をスープで溶いた葛湯のようなものと、マンジョッカの粉と、ご飯を混ぜて、これに辛味のスパイスをきかせていただきます。
とにかく「メッチャうまいもの」で、大満足でした。


「大したもんだ」
ブラジルは治安が悪くて怖いところ、というイメージがとても強いと思います。確かにサンパウロ市の1日あたりの殺人事件12件、なんて数字は私が住んでいた頃も今も変わらないようです。
背中にも目があるような常にある種の警戒心と緊張感を保ちながら、リラックスできているような、そんな感覚に慣れるまで、違和感なくバスやメトロ(地下鉄)を乗り継げるまで、3~4日かかったでしょうか?
この街に住んでいた、というだけで 「たいしたもんだ」と思いました。
「大したもんだ!」と思ったのは、公共の乗り物が 60歳以上は無料、限定つきではありますが、都市感を結ぶ長距離バスにも適用されます。 また 老人(60歳で老人か?)だけでなく、障害者(松葉杖を使っている程度)、妊婦、さらには赤ちゃんを抱いたお母さんにも適用されます。

市内バス;前から乗って 後ろから降りる、途中にコブラドール(料金徴収係=画面左)がいるのですが、赤ちゃんを抱いたお母さん(画面右)は、前から乗って 前から降りる。
私が住んでいたあたりにも新しいメトロができていて、これがなかなかオシャレ、ホームと線路が完全に遮断されていて、電車が到着すると、ドアの部分だけが開きます。

困ってしまうのは、立っていると必ずといっていいほど 若者から席を譲られること、「イイカラ、イイカラ・・・」と言って断る私は彼らの目にどう映るのでしょうか?
「南米産業開発青年隊60周年大会」
私の同窓会イベントの正式な名前、5年ごとに開かれていて、毎回「これで最後かも?」と計画され、終了する頃には 「次はどこでやる?」と盛り上がる、不思議な団体。
戦後「産業開発青年隊」という組織が結成され、日本で訓練を受けた若者たちがブラジルに渡り、さらに現地で訓練を受けて 広大なブラジルの大地で、しかもあらゆる業種で活躍しました。私が学んだ「建設省建設大学校」の母体で、ブラジルでのもっとも後輩が私です。
今回の会場は サンパウロ市から300km離れた、アバレという町のリゾートホテルを貸し切って行われました。

地平線まで続く一本の道、これが延々と続いています。
最初のグループが渡ったのが60年前、以後326名が渡伯し、そのうち111名が亡くなりました。
現在のメンバーの平均年齢は76歳だそうです。
追悼の法要式を依頼され 日本から仏具一式を持ち込んで 私が執り行わさせていただきました。
お世話になった先輩たちの名前を一人一人読み上げながら、過ぎし日々のことが思い出され、感無量。

お役にたててヨカッタです。

この同窓会は 家族参加で行われます。 奥様はもちろんのこと、お孫さんまで。
まさにブラジルスタイルですが、14名の日本からの参加者にとっても、大変印象的なできごとと映ったようです。

湖に面したとても美しいホテルでした。





「ブラジルのファミリー」
友人、鈴木さんのファミリーが歓迎会を開いてくれました。
3人のお子さんがそれぞれにブラジル人と結婚され、その孫たち含め14名の大家族が、自ら計画し、ヨーロッパ~日本を旅したのが去年のこと、興徳寺にも来てくれました。


とにかく皆が仲良くて、温かくて、人なつこくって、典型的なブラジルのファミリー、
料理は「ボボ・デ・カマロン」先ほどの「ムケッカ」に似ていますが 小エビを使って ココナツミルクが入っています。 身も心もあったかくなりました。

「サンパウロの街角」
10年で、変わったな~、と思う所もいっぱいあります。 とくにメトロの駅ができて 周辺が開発された所など、元の姿が思い出せません。
でも日曜日の午後の街角は、ムカシも今も同じ・・・


かつて私が経営していた会社跡を訪ねてみました。
私がスタートさせ10年目、突然の帰国にともない、部下にそっくり譲渡したものの、残念なことに5年前に倒産しました。 
古い民家を借りたのですが、交通の便がよく、奥行が深くて、資材置き場がたっぷり確保できる、建築会社としてはとてもよい物件でした。 
その建物はすべて解体され、会社のシンボルカラーである 青・赤・白に塗り分けられた鉄柵は錆つき、庭に1本の大木だけが残っていました。

不思議なくらいに感傷的なものはなく、そのとき、ただ思ったこと、「ここでの10年間、俺はまぎれもなく闘っていた」ということでした。 
よくやったな~、と思います。
その頃、ずっと経理面で私を支えてくれた部下がホテルに訪ねて来てくれました。
Mr.アレッシャンドレ、いい奴でした。 そして久しぶりに会ったら、やっぱりイイ男でした。

「妻」
私が日本に戻っても、しばらくはブラジルに居たい、と言った妻の意思を尊重し、分骨をしましたが、最後の日、これを引き取ってきました。

お骨を預かっていただいた サンパウロ市日教寺の 納骨堂 と分骨を収めた容器、陶芸作家・鈴木章子さんに作っていただきました。

今回のブラジル訪問の目的がこれにて達成されました。
会いたい人とほぼ会うことができ、エネルギーをいただき、ブラジルの問題点や日本の問題点を改めて考えさせられた、ぜいたくな時間を過ごさせていただきました。 一番心配していた 檀家さんのお葬儀が発生しなかったことも 何よりでした。
改めて、感謝!です。

戻ってから、10日間が過ぎました。 
予定されていた法事、講演、他のお寺への出仕、ブラジルの友人3人が2泊していったり、待ってましたとお葬式が発生したり・・・、
福岡へ1泊2日(ハルのコンサート)、そして昨日は 興徳寺のビッグイベント「お会式」と、まったく目まぐるしい日々でした。
本日、これから オーストラリアの長男家族を迎えます。 2人目の孫が6月に生まれ、初対面となります。 楽しみです。