山寺の
和尚さん日記

我が弟子

2月4日~5日、弟子・泰潤の 「度牒交付式」 が 千葉県鴨川市の清澄寺で行なわれ、師僧として随行いたしました。
「度牒=どちょう」とは 得度した僧に交付される身分証のことで、これによって 日蓮宗の僧侶見習い (沙弥=しゃみ と呼びます) として、認められたことになり、 改名手続きもできます。
(梅が咲きました)


当日、私は葬儀だったので 泰潤の運転する車で 同行してくれた私の妹2人に先に行ってもらい、私が到着したのは 夜でした。

夜の研修が始まっていました。

 (長い正座に 我が弟子は 果たして耐えられるか? と思いましたが、 意外としっかりしておりました)

翌朝 「旭が森」にて お題目を唱えながら 昇る朝日を遥拝します。
  
「旭が森」は 日蓮宗の開祖である日蓮聖人が 今から763年前、建長5年(1253)4月28日 32歳の時、 昇る朝日に向かって「南無妙法蓮華経」と 最初にお唱えした場所で、この4月28日は 私たち 日蓮宗の 「立教開宗記念日 」と制定されています。

私は 今から11年前の2月9日に度牒を受けました。
寒い朝でしたが 言葉で言い尽くせないほどの感動を覚え 涙と鼻水でグシャグシャになりながら お題目を唱えたことを 思い出しました。
息子に 「どうだった?」 と聞いたら 「きれいだった」 と何とも素っ気ない返事、でした。



清澄寺の旭が森からの朝日は 「日本の朝日百選」 に選ばれ、日本で一番早く初日の出が見られることでも有名です。
  
そのまま 本堂に向かい 『度牒』 を受けます。
[度牒交付式]

宗務総長じきじきに 「度牒」と 新しい「袈裟」と「数珠」が手渡されます。


(この後、解散となり、 本当は初々しい姿をカメラに収めるはだったのですが 知り合いのお坊さんと立ち話をしている間に 宿舎に戻ってしまい、再び現れたときは 帰り支度でした。  私の弟子は いつも 素っ気ない。  頬を紅潮させながら 真新し袈裟姿で 度牒を手に駆け寄ってくる、なんてシーンは、マ 期待もしませんでしたが・・・)


帰りに 横浜中華街で 食事をし、
  
折しも 「神奈川県民ホール」 で開催されている 私たちの書道会の展覧会、『芳林展』 に寄って来ました。

(楷書を出品しました)
千葉より戻って 2日後、我が弟子は 身延山大学の入試に向かい、

その日の夜、 ブラジルに向け 出発いたしました。
新富士駅まで見送り 「着いたら連絡してくれ」 と 握手で別れたのですが
昨日 「サンパウロに着きました」 というだけのメールが 届きました。 相も変わらず 素っ気ない・・・
  (北斗七星 ; ひしゃくの柄の方から数えて 2番目の星は 実は2つの星が 重なっているのが わかるでしょうか? 実際の空で これが 裸眼で認識できるかどうかを 昔の軍隊では眼の検査にしたそうです) 


            
息子が ここに来たのは 1昨年の11月の初めでした。 
ブラジルの友人を案内して 2週間、北海道から九州を廻り、 その後 「自分の大切な進路は じっくり決めなさい」 と 言って 興徳寺に置いておきました。  寝るところと 食事と お酒(?)を提供し、若干のお小遣いも与え、 その分、 お寺のお手伝いをする、 という暗黙の了解で・・・
朝のお勤めのお給仕(仏さまへの食事とお茶)、食事の支度や 後片付け、ゴミ出し、掃除等々・・・ をやってもらっていたので いなくなると、一気に私の負担も増えます。  
今月末に帰国し、4月からは 大学の寮生活です。


これが 〈度牒〉 です。