愛犬サクラが 突然逝ってしまいました。
一昨日朝、身延山の 「唱題行」へ。
いつものように キャンキャンとまとわりついてきて いつもと同じように オヤツを与えたのですが、夕刻帰って 食事の世話をしようと、小屋に近づいたところ、その前でグッタリしていて ピクとも動かない。
足先は冷たいし、目に光はなく、原因も何も分からないけど、「死亡」と判断しました
茫然とした頭で 妹に連絡し 取り敢えず すのこに乗せて 物置の机に安置し 濡れたタオルで体を拭きました。
ところが・・・ 一時間経っても 体が暖かい・・・ もしや?と獣医にTEL すると・・・
「年齢が年齢なので 注射などで 延命しても、可哀想なだけです。 そのまま逝かせてやってください」 と・・・
白い布に包み、仏壇の前に 安置して それからしばらくの時間を 体を撫ぜながら 命の終わりの時間を共有しました。
そして 少しづつ 体温が下がってきたことを確認して 改めて 「枕経」を勤めました。
『通夜』、
「サクラ」と枕を並べて フトンを敷き、
線香を絶やさないように 朝まで・・・
まるで 眠っているかのような
良き お顔でありました。
翌日、この地方の この夏最大の猛暑日でしたが、 埋葬のための穴を掘りました。
竹の根が絡み合う地表部を 鍬とスコップで必死に掘り起こすのですが、永いこと この手の肉体労働から遠ざかっていた身体には 思いの他キツい作業でした。
50m先で 墓地の造成工事をしており、掘削機械を頼めば わけない事なのですが、 ここはどうしても 自分の手でやろう、と思いました。
今更ではありますが
飼い主として 充分なことをしてやれなかった、罪ほろばしです。
いのししなどに荒らされないよう 充分な深さを確保して
枯れ草をクッション代わりに敷きました。
午後から 「葬儀」。参列者は母を含め3人でした。
「サクラさん、あなたは 平成11年11月、内房(うつぶさ)で生まれ、3歳で 興徳寺に来ました。 以来、本日まで 私たち家族の一員でした。
あなたは 己の分をよく弁え、私たちに 癒しを与え続けてくださいました。
それに対して、私は充分なお返しもできないまま、今日という日を迎えてしまいました。
ですが 私たちが捧げる お経とお題目の功徳によって、あなたは今度は人間として生まれ変わるでしょう。
その時は また会いましょう。
この言葉をもって、引導文といたします。」
亡くなって2日、 お米を研ぐとき、「あッ、サクラの分は要らなかったんだ」と思います。
朝一番で 「早く オヤツくれ~」と 吠える声が聞こえない・・・ とても淋しい。
俗名 松永サクラ 行年 十五歳
明日から いよいよ 彼岸のお経廻り、 お盆の片付けも充分できぬまま、 日中は お檀家さんを訪問し、 夜は塔婆を書く、という毎日が始まります。 暑い、ということもあって ある意味、一年でもっとも 苛酷な期間でもあります。 一日一日をしっかりと努めてゆきます。