朝、TVの報道番組を 適当に流しながら 食事の支度をしていたら 「今の若者の日本語の理解力が低下している」 というような趣旨で 街頭で若者にインタビュー。 いくつかの言葉を示して 「知ってますか?」と質問するのだけど そのなかで「おしゃか になる」という言葉がありました。 私も 「こんな言葉は知らないだろう」と思って聞いていると 案の定 誰も答えられない。 更に インタビュアーが「それでは おしゃかさんは?」と聞くと 「エェ~ッ オシャカサンゥ~? 聴いた事ある~ 何だっけ~? エ~ト~・・・ 大仏さん?・・・」 これには ビックリしました。 お釈迦様を知らない若者がいるとは・・・ たまたま バカな子に質問してしまったのかもしれませんが、それにしてもな~ と思います。
私が住んだブラジルは カトリックの国ですが 小学校の時から 「宗教」という授業があります。 「復活祭」という 国民の休日が何を意味するか くらいは誰でも知ってます。 ところが 日本の子供は お彼岸の 意味すら知らない。 秋分の日 とは 「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ趣旨の国民の祝日」 と定められていますが そのことを認識している国民が どれくらい いるでしょうか?
日本と外国の若者たちが 興徳寺に泊まっていくようなイベントがたまにあります。 そういう時に 私が仏教について話すと 興味を示すのは外国の子。 自分の持っている宗教概念とのギャップに 「confuse !(=混乱する)」を連発しながら 何かを見出そうとしています。 一方 日本の若者たちは 一部の者を除いてこの会話の渦に入って来れない・・・ 信仰心もないし 宗教知識も皆無といっていいほどないのです。
日本の 学校教育制度の中で 是非 「宗教」 を取り上げて欲しい と願う者です。
昨今の 中国という国家に感ずる 違和感も 煎じ詰めれば 宗教心・道徳心の欠如に起因すると思えます。 唯物主義からは 真の幸福は 生まれません。
ところで 冒頭の 「おしゃか」という言葉、 作りそこない・不良品 といった意味で 「おしゃかになった」 という言い方をします。
仏師が 鋳物で 阿弥陀像の依頼を受けたのですが できあがった仏様の顔は どうみても お釈迦様、「おしゃかになった」と言って 放棄した・・・ ということに由来するそうです。 使い物にならないようにする=壊す・捨てることを「お釈迦にする」といいますが 今では ほとんど 使われませんね。
例の ひまわり畑。 若者たちが 来て 菜の花の種をまいてくれました。 来年の春 桜と一緒に 開花する予定。 桜 と 菜の花 と富士山と・・・ 今から ワクワクです。
夕刻 少しだけ「赤富士」 が 見られるようになりました。 これからの時期、裾野まで真っ赤に染まった 富士山が それはそれは きれいです。