興徳寺の情報交流

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興徳寺の情報交流-紙上法話

第78号(復刊第3号)平成19暮れ

「ありがとう」は 今言う

オレのごめん

あいつのありがとう と
オレのごめん
初めて本気で言いあえたのが
あの時だったように思います。

        瀧本光静上人著「たった7秒の忘れもの」より

 

 幸せの大きな要素として「人間関係」があると思われます。
物質的に不自由のない生活をしていても、両親がいがみあっていたり、兄弟喧嘩が絶えなかったり、あるいは夫婦関係が冷え切っていたりすると、幸せとは思えません。
また友人・職場・地域等、私たちを取りまく人間関係のトラブルで悩んだ経験を多くの方が持っていることと思います。

 このたびの、光静上人の本を読ませていただき、また「お会式」 での法話を聴かせていただいて、「ごめん」と「ありがとう」これがすべてだナと、改めて教えられました。
「ごめん」と「ありがとう」は車の両輪のような一体関係にあります。
「懺悔」と書いて、仏教では、これを「さんげ」と読みますが、「ごめんなさい」という懺悔の気持ちによって自分を深く見つめることができる。そうすると今度は、多くの人に生かされている自分が見え、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。
そのように深い感謝の念が出ているとき、人は「幸せ」を感じるのではないでしょうか。

 長年連れ添った夫婦は「アレ」とか「コレ」で物事が通じてしまって、言葉もだんだん少なくなり、気持ちはあっても、「ありがとう」も「ごめん」も口に出すことがない。そんなこと言わなくったって解ってる、と言われますが、本当にそうでしょうか?

 「酔っ払いのトウチャンで、さんざん泣かされたけど、寝たきりになって、いよいよというとき、『いろいろ苦労かけて悪かった、アリガトウ』って言ってくれたから、それだけで救われました」と話してくれた未亡人(檀家さん)がいます。

日蓮聖人は『富木尼御前御書』 というお手紙の中で

――や(矢)のはしる事は弓のちから、くも(雲)のゆくことは りゅう(龍)のちから、をとこ(男)のしわざは め(女)のちからなり――

とユーモラスな表現をされています。
「男の仕業は女の力」、ダンナを見れば女房が解る、などと申しますが、現代では逆もまた真なり、ですね・・・

 いくつになっても、仲の良い夫婦でいるために、何かしてもらったら、すぐに「ありがとう」と言うこと。もちろん、親子、友人関係、皆同じことですね、「今度、そのうちに・・」などと思ってはいけません。「おはよう」と同じで機会を逃がすと、もう言えなくなってしまいます。
最後に「ゴメン」「ありがとう」を言ってもらえたあの未亡人はまだ救われましたが、そのチャンスは永遠に来ないかもしれないのです。
光静上人のお話の中にもありましたが、遺族の方々の後悔・自責の念も ほとんどがこの言葉に集約されている、そうです。

 「ありがとう」は、今、言いましょう