山寺の
和尚さん日記

母とのこと

母が逝ってからちょうど1ケ月が過ぎました。

早いものだと思います。

毎朝、お膳をお供えし、お経をあげてから一言二言お話しをします。

「もういないんだ~」という気持ちがポツンと湧いてきて、ちょっと寂しいです。

6月2日の通夜、3日の葬儀、併せて約500人が参列してくれました。

コロナ禍、参列するかどうかはご本人におまかせしましたが、たくさんの方が外に用意したテントの中で最後までお付き合い下さり、本当にありがたいことでした。 正直言って、亡くなってから葬儀までの約1週間、あまり覚えていない・・・ 通夜も葬儀も常に何かを考えていたりボーッとしていたり、来て下さった方にしっかり挨拶もできなかったこと、申し訳なく思っています。

葬儀は2時間にもおよぶ長いものでしたが、導師を勤めて下さった師匠・金森了脩上人の心に沁みる読経、孫からの温かな「お別れの言葉」、最後に参列者全員での棺への花入れなど、「時間を感じさせなかった」と、感想をいただきました。 最後の私の挨拶もヨカッタ、と言ってはもらいましたが ぶっつけ本番で臨んで、その時に浮かんできたきた言葉を述べただけで、もう忘れてしまいました。

地域のお坊さんたち、組の皆さまに何から何までお世話になりました。またお檀家さん、私の友人、仲間、ご縁で結ばれた方たち、ご参列くださいましたすべての方々に、改めて心よりお礼申し上げます。

母とのこと

改めて 母のことを・・・

結婚は1948年4月26日、この格好で清水から東海道線~身延線~木炭タクシーを乗り継いで、初めて「興徳寺」へ。
清水駅の近く、大きなお寺のお嬢さんです。「一度でも見に来ていたら、来なかったかも」とよく言っていました。
母との最初の2ショット、私6ケ月
私1歳
2010年、認知症が始まって2年目。

桑名市の加藤澄子さんという写真家が、興徳寺によく撮影に来てくれて、2018年、私と母とのスナップ写真が「全日本写真連盟」の「人間大好きフォトコンテスト」に入選。 それがこの作品です。⇩

加藤さんは他にもたくさん母との2ショットを撮影してくれました。
ここに一部を紹介します。

私がとっても好きなのがこれ⇩、加藤さん自身のお気に入りでもあるそうです。

久しぶりに加藤さんと電話でお話ししました。

母のことを伝えこれらの写真を送ってもらい、掲載許可を得ました。

⇧妻の母親と。「再会」とタイトルがつけられていました。

母がいない、ということはよく分かる。

一日3回、2時間づつ拘束されていたことがなくなってとても楽です。 仲間に誘われて、本当に久しぶりに夜の会食に出かけました。

そこのところはとっても嬉しいのですが・・・

母ともう会うことが出来ないということが、とってもツライ・・・


暑くもなく、寒くもなく、お寺にとってもっとも余裕のある時期(彼岸~花まつりとお盆の間)であったこと、

苦しまず、天寿を全うして、と言う言葉がふさわしいような、出来過ぎともいえる最後ではあったけど・・・

「温かくなったらソフトクリームを食べに行きましょう!」という約束を果たせなかったことなどを思い出したりします。

明日から7月。

泰潤と2人でしっかり前を向いて進んでいきます。

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1 件の投稿

  • エミー より:

     こんばんわ
    本当に月日がたつのは早いものですね
    色んな行事がある時はさみしさも忘れてますが落ち着いてきた時に
    ことごとく思い出され改めてさみしさを感じる事が多いです
    でもお母様は本当に理想のかたちでお亡なりになられたと思います
    沢山のステキな写真ありがとうございました。
    私もご住職様のお好きな写真が好きです
    最後の富士山の写真凄くいいです♪
    毎日暑いですがお身体お気をつけてお越しくださいませ。