山寺の
和尚さん日記

フェスティバルとお祭りと

ついこの間まで 「アッチイ アチイ!(こちらの言い方で 暑い ですね~ の意)」と言ってたのに もうストーブです。 昨日 やっと 扇風機を 片付けました。




「第6回 富士山ピースフェスティバル」 無事 終了いたしました。
観客動員数では、 期待した せめて500人!には とても及ばず 今後への重大な反省テーマとなりましたが 自分自身は 大いに楽しませていただきました。
前日 行なわれた 「高砂酒造」の蔵で行なわれた コンサート、 

 「富士山ピースフェスティバル」の連動企画でしたが これが 実にヨカッタ、
古い蔵の中は 独特のフンイキで 音響効果も良好。 
ヴァイオリン(河村典子さん)、コントラバス(白土文雄さん)、ギター(ワルター・ギーガーさん)という ちょっと珍しい アンサンブルで ムスルグスキーの 「展覧会の絵」とサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を演奏していただきましたが 
「クラッシックで ここまで できるのか!」 という 新たな感動をいただきました。
ピースフェスの幕開けは ブルースハープの陬波靖行さん デュオ+前夜のワルター・ギーガーさん

たった一回の練習だったそうですが ナントも スバラシイ演奏で
クラッシックとか ジャズだとか ブルースだとか 音楽を そんなジャンルで 分けることは 無意味だと 思いました。  
大切なのは 通い合う心であったり 精神的なレベルの高さであったり・・・ それを裏付けるための テクニックかと、 
一流の方と 肌で接することの大切さを 改めて思いました。
福島から 避難され 今は富士宮市に在住の 小笠原明日香さんの講演
 

主婦という立場から見た事故、 今 なお 福島に残って 暮らしている 友人たちのこと、 放射能という見えない恐怖とともに生きている人々にとって 現実は あの時から 何も変わっていない・・・ 日本中のあらゆる場所から 生きたメッセージを発信し続けていくこと、 そして それを 支えてゆくことが とっても大切だと思います。
今回のために 用意された お芝居 宮元研/作 「花いちもんめ」




花嫁として 満州に渡り
ロシア軍の進駐~敗戦~
4歳の娘を中国人に売るらなければならなかった
母親の苦悩
夫・息子の死~命からがらの引き揚げ・・
日本という国家が夢見た 
その夢のつぐないを
その身でつぐない続けている 女性の姿、
70分間におよぶ 一人芝居を
見事に演じきった 
馬田尚美さんに 拍手!!
最後に 実行委員を代表して 挨拶させていただきました。
「感動の余韻の残る 舞台より 感謝の言葉を述べます。
・・・・今 私の心を充たしている暖かな気持ち、 その気持ちを ここに お出かけくださいました すべての皆様と共有できていることを 大変シアワセに思います。 
感動と感謝に包まれた この空間を ピース(平和)、と呼ぶなら これをキープするために 私たち 一人ひとりが 何らかの小さなアクションを 起こさねばなりません。 何が 必要か? 何が必要でないのか? このフェスティバルが そんなことを 考える きっかけとなってくれたら 大変嬉しく思います。」

11月3日から 5日までは 「富士宮まつり!」

中日(4日)の16時 各町内会が所有する山車(だし)が 浅間大社前に集結します。

 このような 山車が 全部で 20台
 
 
 それは それは 壮観です。




2台の山車が 鼻突き合わせて 競り合い と呼ばれる お囃子合戦を 繰り広げます・・・
(一人残した 母のことが 気になって そこまで いられませんでした・・・)

  
 
祭りの 会場では 粋な法被に身を包んだ 友人・知人多数と出会いました。
皆それぞれの はじけるような笑顔に 思わずこちらも 意味もなく 笑いこけます。



フェスティバルも お祭りも 参加する人 みんなが ハッピイ!でなくっちゃ 意味がない。
「富士山ピースフェスティバル」を支えてくれた 裏方さん、 スタッフの皆様、 本当にオツカレサマでした。
充分 楽しんでいただけたでしょうか?