山寺の
和尚さん日記

陸軍少年戦車兵学校にて

陸軍少年戦車兵学校という かつての大日本帝国陸軍の教育機関を ご存知ですか? 富士宮市の 北部に存在しました。
昭和14年から 終戦の20年まで、 延べ4000名の14歳から19歳の少年が2年間 ここで学びました。 少年戦車兵は若獅子の愛称で、空の若鷲(少年航空兵)と並び、国軍の双璧と讚えられたそうです。 
敷地が30万坪、100両近い戦車と自動車類が配備され、広い朝霧高原の一帯が演習場として利用されたそうです。
実は 9月4日付のブログで紹介した 八木洋行先生が あの芝居の後 「この富士宮市朝霧高原に かつて陸軍の戦車学校があったそうなんだけれど 次はそれをテーマに脚本を書いてみたい」と言われるので 私が「その戦車学校の 出身者を知っておりますので 紹介しましょうか?」ともちかけたのです。
私は 「建設省建設大学校(廃校。今、朝霧高原、道の駅 となっている場所に在った)」の出身ですが、そのときの恩師 吉留(よしどめ)先生が、この戦車学校の3期生で 現在は『若獅子会(同窓会)』の会長を務めています。
お二人の 出会いの場は 富士宮市の北部、上井出(かみいで)の 若獅子神社(http://www.wakajishi.jp/jinjya.html) としました。



                                (この写真は HPより転載)
かつて陸軍少年戦車兵学校があった敷地の一角に在り、太平洋戦争で戦死した同校の教官・生徒600余名の御霊が祀られています。
この「若獅子神社」に 本物の戦車が置かれています。
「帰還戦車」と呼ばれる大破した九七式中戦車(チハ車)です。  戦後 サイパン島で 港湾工事の際 地中に埋まっていたものが 発見されたそうで、それを譲り受けたそうです。


 

 
昭和50年に この地に安置された。
左側が 八木洋行先生。右が 吉留先生。



貫通弾の痕 が生々しい。 中から白骨死体と軍刀が発見され、機種から身元も判明し、遺族の元に 送り返すことができたそう。

社務所にて 吉留先生より 数々の貴重な資料も見せていただきました。 
少年達の 肉筆の手記も多数遺されており 時空を飛び越えて語りかけてくる 純真無垢な少年達の声が 直接胸に飛び込んで来ました。
この学校の存在を 一人でも多くの方に知ってもらうことも 私の役目かと 思います。

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