「知覧」という地名を知ったのは 20年くらい前、
『月光の夏』という映画
・・・ 二人の青年特攻隊員が、出撃の前に ピアノを弾きたいと、基地の近くの小学校を訪れる。 そこにあった楽譜は ベートーベンの『月光』 。
終戦間際で 飛行機もほとんど失われ、たった6機で出撃するも、一機はエンジン不調で戻り、他は 目的(敵艦に体当たり攻撃)を果たせずして、敵機に迎撃される・・・ そして間もなく 終戦・・・ この生き残った隊員が、 戦後数十年を経て 修復されたピアノで 「月光」を弾く・・・
『月光』の曲は 映画全編を通して BGMとして使われており、 以来 この曲が好きになりました。
出撃前夜、三角兵舎の横で 「オレは死にたくない・・・」という 兵士の本音、
三角兵舎の内部 :
このような 狭い所で 出撃前の 2~3日を過ごした。
特攻隊は志願であった とはいえ、そうせざるを得ない強い力が働いていた事は 事実だし、 大儀のために 命を捨てる、という美学と アキラメと 不安と 恐怖と・・・
20歳前後の男子に このような選択をさせてしまう 戦争の狂気を 改めて思います。
それから 特攻隊員の母、と呼ばれた
「富屋食堂」の鳥濵トメさんのこと。
戦後、トメさんは 「お国のために散っていった」 特攻隊員を供養するため、草ぼうぼうとなった飛行場跡に棒杭を墓標として立て、 来る日も来る日も 参拝を続けたそうです。 その後、いろいろな方に呼びかけ、遺族の方、生き残った方、また町役場等の尽力によって「知覧特攻平和観音堂」が 建立されました。
知覧特攻平和観音堂
ここで お経をあげさせていただきました。
知覧 武家屋敷
あの日の私の心に もっともマッチした 「雨の知覧」 でした。