山寺の
和尚さん日記

うきうき・わくわく

画家の友人から常滑(とこなめ)市で お仲間の写真家と「二人展」を開催するという案内をいただきました。
常滑市は愛知県知多半島です。 
知多半島にはかつて伯母さんが住んでいて、何回か行ったことがあるのですが、18歳の春、自転車で旅したことが蘇り、あの感動をもう一度、と今回はバイクで出かけました。

年齢を重ねると、感動が減ってきます。 感性が鈍くなる、先が読めてしまう・・・ でもそんな中で、心がうきうき・わくわくすることがあったら、その時は迷わず行動するようにしています。
私の自転車旅は高2の夏、3人グループでの2泊3日が最初ですが、知多半島は1週間の一人旅、その後の放浪人生の原型(?)のようなものです。

夜はこのような無人小屋の軒下に寝たり

公園の築山(?)のトンネルに潜り込んだり・・・
常滑は焼き物の町、展覧会場も 古い焼き物屋の倉庫をそのままCafeにしたところでした。

作品は葉っぱの水滴をモチーフにしたもので、低い目線で眺められるように工夫され、素朴な環境ともよく調和していました。


常滑の町も 風情があって散策していても次々と新しい発見があります。



その夜は常滑に泊まり翌日、伊良湖岬に向けて出発しました。 
前回(といってもほぼ50年前ですが)は、知多半島から船で渥美半島に渡り、その突端の伊良湖岬灯台からの海岸線沿いの道にとても感動した覚えがあるので、そのコースを行きたかったのですが、フェリーは3年前に廃止となっていました。 少し迷ったのですが、何故か、どうしても伊良湖灯台に行きたい、という思いが強く、陸路で行くこととしました。 
三河湾をぐるりと廻るのですが、常滑市~碧南市~蒲郡市~豊橋市~田原市と町を抜けてゆくため、とても時間がかかります。 お昼すぎにようやく伊良湖岬に到着しました。
50年前に見た灯台は  

今も健在でした。

廻りはすっかり整備され、かつてどのようであったのか、記憶にすらありません。 

裸足になって 海峡を渡る船を眺めながら、しばし波と戯れました。

そこから浜松方面に至る美しい海岸線の道は、サイクルロードなのでバイクは通れません。 

単調な一般道を走りながら 「あの時はなぜあんなに感動したんだろう?」と考えました。
はっきりと覚えているのは、青い空と菜の花。 
でも、でも、やっぱり思うのは、初めて自転車で一人旅をした18歳の少年の感性と、現在の67歳の感性の差。 
あの頃、青空の下を走っているだけで、心が弾けて、大声で叫んだり、笑ったり・・・ 
 
 そんなことも めっきり減ってしまいました。
だからこそ今、 「うきうき・わくわく」 を感じることがあったら、それは行動してみたい、と思うのです。

興徳寺から知多半島~渥美半島のバイクツーリング、走行距離は570kmでした。 
行けてよかったです。

〈ご案内とお願い〉


今年の「富士山ピース&アートフェスティバル」、 アメリカ生まれの詩人、アーサービナードさんの講演会を開きます。
《アーサービナード》
 昭和42年、アメリカに生まれる(現在49歳)。卒論を書く中で日本語と出会い興味を持ち、26才で来日。日本語の中へ分け入って学び、数年後初めて広島を訪れ、そこではじめて 「ピカドン」 ということばに出会う。
『原子爆弾』 も 『核兵器』 も核開発をすすめた人たちがつくった呼び名。それに対して 『ピカドン』 は、生活者が生み出したことばだ。具体的に、生きた言語感覚で、核分裂をとらえていて、その言葉のレンズが、ぼくに新しい視点を与えてくれた。 同時に、『ピカドン』 に相当する英語が存在しないことにも気づいて、課題を背負った思いがした。 (『さがしています』 あとがきより) 
以来、幾度となく広島の街を歩き、原爆資料館も幾度となく巡って展示物と対面し、その 「声なきもの」 たちの声や、持ち主たちの暮らしが見えたりもすると、いつかもしかして、自分が通訳をつとめることができるか、と3年余りの歳月をかけてヒロシマの写真絵本 『さがしています』 を完成させた。
 生来の豊かな言語センスに加えて、旺盛な好奇心と研究心、何より人間を見つめる心の温かさが多くの詩集を生み出し、高く評価され今日に至る。 現在講演などで東京と広島を往復する生活を送っている。
 著名で大変多忙な方を説得し、出演承諾にこぎつけた我らがスタッフの情熱をおおいに評価し、すばらしい講演に期待したいと思います。 (アーサービナードさんの講演はyoutube でも見ることができます)

6月3日土曜日、13時半~ 富士宮市民文化会館大ホールです。
1000人収容の大ホール、一人でも多くの方に見ていただきたく 近くの方、是非お出かけください。 
きっとご満足いただけるものと確信いたします。