山寺の
和尚さん日記

オヤジ

9月30日は 父親の命日でした。 
その日に このブログをアップしようと考えていたのですが、 檀家さんが亡くなり 昨日がお葬式でした。



最近 「お父さんに似てきましたね~」と言われることがあります。
顔つきというより 声の質(お経を詠む時の声が高い)だとか しゃべり方(相手かまわず、すぐにタメ口になってしまう)だとか  何となくのフンイキが 似ているかな? と思います。

私が18歳になるまで 私たち家族は 興徳寺の隣の小さなお寺で起居していました。
父は小学校の教員で 私にとっては 「坊さん」より「先生」のイメージが強い。
小学校2年で 母親と死別、その遺言によって 僧侶となるべく 「小僧」として 8歳で興徳寺に住み込み、厳しい修行の明け暮れで まったく自由のない少年時代を過ごしました。
だからか、私に関しては 何ひとつ強制することなく 自由にのびのびと育ててくれました。 
「坊さんになってくれ」などという言葉も一度も聞いたことはありません。
学徒動員で南方戦線に赴き 九死に一生を得て復員、栄養失調とマラリヤで次々と死んでゆく戦友の手首を切り落とし 飯盒の蓋で焼き その小さなお骨をマッチ箱に入れて 各地の遺族に届けたそうです。 教師となってからは 「教え子に再び銃は握らせない!」を信念として 日本共産党に入党、地味で熱き活動を続けました。 「アカ!」と呼ばれて 弾圧を受けていた時代の話です。 
弱者には 本当にやさしく 強い者には媚びず、へつらわず、己の信ずる道を通しました。
華美は好まず 欲もなく、酒と本を生涯の友としました。
そんな父親に 反発しながらも 「このオヤジには 敵わない」 とずっと思っておりました。


最期が近づいた頃 こう尋ねました。 
「お骨は どちらの墓へ?」 
興徳寺の歴代上人の墓地か 松永家の墓か、 という意味です。 
そしたら 「骨? そんなもん、どうでもいい、竹藪にでも うっちゃってくれ」 
・・・最後まで 敵わなかった・・・

お風呂場
脱衣場からの
風景

「本当にイイ方でしたよ~」という言葉を聞くのは 息子として 嬉しい。 でも何よりも嬉しいのは 父親を尊敬できていることです。
オヤジ!


     
            
   「彼岸花も 刈っちゃうんですか~? 」


    今回は すべて 「彼岸花」で・・・ 


*明日~明後日、『富士山ピース&アートフェスティバル』
 お近くの方、是非どうぞ!!

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