山寺の
和尚さん日記

おばかっちょ

先週末から今週にかけて お葬式が 2回続き ちょっと忙しい思いをしました。
最初の葬儀は 静岡市に住む おばさん。
2年半に及ぶ 懸命の 看護も空しく 昨年7月 おじさんが 他界、 死後の 書類手続きなどが、やっと一段落したと思ったら、 今度は 自身に癌が発見され、しかも末期、余命3ケ月の宣告を受けて、その通りになってしまいました。 
マサカの展開に 言葉もありませんでしたが、 苦しむことなく サバサバと毎日を過ごし、 爽やかさを残して 旅立って逝きました。 仲のいい夫婦とは かくやあらん、 「イイ生き方とは イイ逝き方」 を教えてくれた 最期でありました。




おばさんの 葬儀を勤めて ケイタイの着信履歴を見たら 同じ檀家さんから10分置きに コールがあり、 「何かあったな?」 とは 思ったものの、 私と同年代のご夫婦と 子どもたちのみの家族構成で 「誰が?」が 思い浮かびません。  恐る恐るリダイヤルすると・・・ 
たった一人の男の子、 その家の ご長男が、34歳の誕生日に 自死・・・
すぐに 枕経に駆けつけ 顔に覆われていた 白い布を外すと そこに現れたのは  若者の顔、 皺ひとつない、 ピンと張った頬、 少し顔は 青ざめてはいますが 僅かに開いた口元が 微笑んでいるようにも見えました。  不謹慎かもしれませんが 「美しい」とさえ思いました。 お顔を拝しながら お経をあげていると・・・
「こんな 美しい若者が 死んではイカン」 と言う声が 何度も何度も 聞こえてきました。

 
私の 弟は 8年前の7月10日、事故で即死。
朝、普通に 出かけて 夜 遺体で 帰宅しました。
ちょうど お盆で お坊さんの都合がつかず 葬儀は1週間後となり、お棺に大量のドライアイスを詰めて 奥の座敷に 置かれました。
母親は 物言わぬ わが子を覗き込んでは 「おばかっちょ~!」と 叫んでいました。
(おばかっちょ は この辺りの方言で 「おばかさん」 と 「バカ」の中間くらい)
親より先に逝ってしまう子どもは 確かに「おばかっちょ」 です。
毎日毎日 「おばかっちょ」を繰り返していましたが 通夜の晩、 母親は 明け方までかかって 1通の手紙をしたため、それをそっと お棺に しのばせたのです。  固く封印をされた その手紙の内容は 無論 知る由もないけれど、 火葬場で 最期のお別れの際 「 ありがと~ ありがとね~」 と大きな声で 繰り返し、繰り返し・・・
「おばかっちょ」 に 「ありがとう」 を言ってもらえて ヨカッタ、
私も 妹たちも そう思いました。



鬱病、ノイローゼ、強度のストレス症 等々の 精神障害に悩む人々は 予備軍も入れると 3人に1人、とも言われています。
彼らは 発作的に 自死の引き金を引く・・・ このことが その直前まで 一緒にいて 気付けなかった廻りの人たちをも 苦しめることになる。 



 
「何故?」 「何故 気がついて あげられなかったんだろう?」
彼らに共通すること、 
未来をもたない、  腹から笑う ということがない・・・・
未来ある若者を 死なさせないこと、 腹から笑わせてあげること、
宗教家としての 大切な 大切な使命だと思います。



昨日より お盆のお経廻り開始、 これから 秋の彼岸が終わるまで 息がぬけません。
一年で もっとも忙しい季節に 突入してしまいました。
*29日の日曜日、「興徳寺をきれいにする日」 お近くの方、 ご奉仕 お願いいたします。