山寺の
和尚さん日記

何度でも 初心に戻れる 七面山

昨日、1月10日は 私の誕生日。 61歳になりました。
毎年、この日は 一人で 七面山に登ります。
お正月は 年始客等も多いので、 この日を1年の新たなるスタートと決め、 自分を見つめる機会ととらえています。
朝の5時に 家を出て、 登り始めたのが 6時半。
このところの 運動不足が端的に現れ かなりキツイ思いもしましたが だんだん慣れてきて・・・
25丁を過ぎたあたり(ちょうど 行程の半分)から 周りは雪。





途中の休憩所 の寒暖計で マイナス10℃
てぶくろ外して オニギリ食べて
写真を撮ってたら
何と 指が動かなくなった・・・
 
 「和光門」~「敬慎院」 も雪の中


山頂は  マイナス12℃
寒い というより 痛い、
身が 引き締まります。
昼の10時半 
快晴!
風もない 
とっても いい気持・・・

坂を上りつめると「随身門」
富士山 が きっちり と枠の中に 鎮座している。
何度来ても 感激の一瞬です。
登り道、  何故 ここに来るのだろう? と考えていました。
僧侶としての 修行?
それも ある・・
でも
何も 考えず、 ただ ひたすら登る、 というのが イイ と思いました。
少々 キツイ思いをするけれど そのプロセス そのものが イイ とも感じました。
何よりも 澄み切った 山の空気が イイ ・・・

そんな時 出会った この立て札。
(七面山の 登山道は ところどころに このような 立て札が 立てられている)
「何度でも 初心に戻れる 七面山」
イイ言葉 だと思いました。
私たちは 「初心に戻る」 ということの大切さを よく思う。
だけど それは 「ヨシッ!」 と気合を入れて できるようなことでなく
肉体に 少し 負担をかけて その中で 改めて考えてみるのが いい と 思えます。
七面山に 参詣するには 誰もが 同じように この苦しい道のりを歩かなければならない。
ベテラン も 初めての人も まったく同じこと、 
改めて 坊さんの 修行を始めたばかりの頃のことを思い出していました。
最近 坊さんとして 必要な 教学(仏教の勉強)を 怠っているなぁ、
運動もしてないなぁ~ だから こんなに キツイんだなぁ、
坊さんになって 6年ばかりで 解ったような エラソウなこと
言ってるんじゃないかなぁ~
も一度 あの頃の気持ちに 戻ってみよう と思いました。



オ・マ・ケ・・
実は 立て札を 見て 考えさせられて
そうだ これを ブログネタ にしようと、 帰り道 写真を撮りました。
ただ ポツン と撮っても おもしろくないので、 アクセントに 持ってた杖を 立てかけました。
もうここからは 下るだけ、 食べ物の残りも 食べて、 飲む物 飲んで、
歌いながら(私は 山の下りは ずっと歌を歌う) ピョコピョコと 上機嫌で下っていったのです。
しばらくしてから 「あぁ~ッ、 つッ・えェ・・・」
ここからの 戻り道のきつかったこと、 「あんな杖 どうでもいいかぁ~」 「いやいや それでは この登山の意味がない!」 と葛藤しながら やっとたどりつき 
「フン!」 と」ひったくるようににして 下りてきたのです。
まだまだ 修行が足りません。