山寺の
和尚さん日記

弟の7回忌

本日、興徳寺53世加歴智照院日境上人(私の弟のことです)の7回忌法要が営まれました。 檀家さんを代表して総代さんに、他は身内だけ、 参列者30名ばかりの ささやかながらも あたたかい法要となりました。
2004年7月10日、土曜日の朝、サンパウロの誰もいない会社に出社して庭の草むしりをしていた私に妻からの電話。うわずった声で 「ケンちゃん(妻からそう呼ばれていた)落ち着いて聞いて!」・・・ 瞬間、私は「オヤジが死んだか!?」 父親は当時81歳、病気で自宅療養中でした・・・・・・・ しばらくの沈黙の後・・・ 「おとうさんじゃないの・・・」 一瞬目の前が真っ暗 「一体誰だ!? 早く言え!!」 妻の重い口が開かれて 信じられないようなことをつぶやきました。「照潤さんだって・・・」 私の弟が、6歳年下のたった一人の弟が 事故で即死? それはまさに晴天の霹靂でした。体ががたがた震えたこと、あの時の空気、空の色までを 鮮明に思い出します。
私の弟は、フーテンをしていた兄に見切りをつけ、身延山本山の高校に進学しました。それは 15歳の少年にとって、親を守るためのギリギリの選択であったはずです。 当時そのことを旅の空で聞いた私は 多少の後ろめたさを感じつつも、これで完全に自由だ、とばかり アフリカに向けて出発したのでした。
葬式に参列するため、日本に向かう飛行機の中私は、「これでオヤジが死んだら、オフクロは寺を出なければならない。老人ホームに入ってもらって、その費用をブラジルから送ることになるのだろうか?」そんなことを漠然と考えていました。 ところが、家に着き、変わり果てた弟と対面し、悲しみに落ち込む両親を見たとき、私の心がクラッとゆれた。 そこへ懇意にしてくれていた 近くのお寺のご住職が二人やってきて、信じられないようなことを言われたのです。
「いろいろ考えたんだけど、アンタがブラジルを引き払って ここに戻ってくれるのが一番いいんだけどね」  
「この私が坊さんに? ブラジルの土建屋のオヤジですよ?」
一晩考えました。 ブラジルのことはお金で解決できる。 日本のことはお金で解決できない。 極道息子が 一生に一度の親孝行のマネゴトをしてみるか! 明け方、ブラジルの妻に電話したところ 「アタシはそうなると思ってたよ、お父さんが今まで生きていてくれたってことはそういうことなのよ。」 そして「アタシは当分帰らないけどね」と付け加えました。
密葬を終え、ブラジルに戻った私は40日間で会社を清算し、戻って 11月13日、檀家さんの見守る中、出家得度し それまでの松永賢一を改め 泰然となりました。 
6年前のあの日のことは まるで昨日のことのように思い出す事ができるけれど、私にとってのこの6年間は それなりの時間でもありました。 翌年、ブラジルに残っていた妻が突然くも膜下出血で逝ってしまい、その2ケ月後に父が死にました。
弟の命をもらって生きている自分。 弟によって救われた自分。出家した時点で私の命も仏様に差し上げた、と思っています。 そしてそのことで 私は生きる事がとっても楽になりました。 すべてはそのように決まっていたし、これからもそのように生きていくのであろうと思います。

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