山寺の
和尚さん日記

生きてるってことに意味がある

久しぶりの更新です。 
1昨日 彼岸のお経廻りが ようやく一段落し 遅れていた 塔婆書きの ラストスパート、 今回は 檜の卒塔婆のデビューでもあるし、 たくさんの申し込みがあったらイイナと期待しておりましたが 計74本でした。
全部は終わっていませんが、何とか 明日で終了できる見通しがたったので、 ブログを書きます。




近所の檀家の おばあさんが亡くなられました。 光江さんといいます。 行年101歳でした。
 
光江さんは 10年前、転んで大腿部を骨折し 以後 車椅子での生活を余儀なくされました。 また この頃を境に 認知症が始まりました。 9人の子どもたちが相談して、施設へ入れようかという話も持ち上がったようですが、お嫁さんの竹子さんが 「私に見させてください」 と申し出て 自宅での介護が始まりました。 竹子さんは 小さい頃 母親を亡くし、19歳でこの家に嫁いだのですが、当時、夫の末の弟はまだ小学生、大所帯の家族の中で、光江さんも 竹子さんを 本当の子どものように 優しく接してくれたそうです。 
光江さんの 認知の症状は 時間とともに進み、 とうとう家族の誰をも認識できなくなりました。 
永い間の車椅子生活で 足は曲がったままで固まってしまい、 食事は すべてスプーンで 口に運んであげる、という重度の要介護状態で 竹子さんの負担も大変なものでした。 
ですが そんな竹子さんに 家族の全員が積極的に協力し、 今年小学校6年生の ひ孫の真由美さんにいたっては とうとう名前すら呼んでもらえなかった ひいばあちゃんの 車椅子を押し 食事の介助を引き受けました。
いつもと 同じように夕食を摂って 床につかれたのですが、 夜10時頃 竹子さんが就寝の挨拶に行くと ちょっと息が荒いな~ と感じたそう・・・ その2時間後、 眠るがままに 旅立たれたのでした・・・

枕経に伺うと、 家族全員が泣いていました。 
不謹慎な言い方ですが 充分に高齢で しかも10年間も家族に負担をかけた、 
内心ホッとしているのでは? とも思える状況なのに、 ただただ悲しいと・・・ 
8人家族が おお(大)ばあちゃん を中心に繋がっていた・・・ 
大きな犠牲を強いられたが 実は かけがえのない 大きな心の財産が得られた・・・
全員が 「おばあちゃんに 感謝です」と・・・
100歳の重度の認知症のおばあさんは 何の役にも立たない存在、という 私の薄っぺらな概念をも ひっくり返してくれました。
私も 光江さんに感謝、です。 そして 竹子さん始め、ご遺族の 全員に感謝! です。
永い間、本当にごくろうさまでした。



改めて思います。 
生きている、 そのことに 意味がある、と・・・

私が 所属する 書道塾の 本部、 『芳林書道院』の 展覧会、 
「第33回芳林展」が 横浜の 県民ホールギャラリーで開催中です。 
昨日、行って来ました。
私が通う教室からも 全員が出展されています。
表装された 作品は どれもすばらしく、
石川啄木の句 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ・・・」
を思い出しました。
遅々たる歩みではありますが 
続けていこうと 思います。
今年も 「毎日書道展」に出品すべく 今、その稽古にとりかかったところです。


                1ケ月遅れの 梅の花、 
明後日(18日) は 興徳寺の 『彼岸会』です。 
お近くの方、 お気軽に お出かけください。