山寺の
和尚さん日記

インフルエンザA型

30日(月)の夜、 寒行から帰って 床についたものの 何か背中にヒヤヒヤした感じがあって、寝付けず・・・ 
もう一枚、布団をかければと思うのだけれど、その気力も出ず・・・
 布団に入って 一分で寝付く私に珍しい体験でしたが 思えばこれが 今回のシナリオのプロローグでした・・・
翌朝、母を ショートステイに送り出し、さあ仕事をするぞ! と 張り切ったものの、寝不足と寒気で 今ひとつヤル気が出ず、 午後になって 熱を測ったら 38,5度・・ すべてを諦めて 床についた。 
その翌日、友人が渋る私を車に乗せて 病院へ・・・
検査の結果 まさかの「インフルエンザA型です」 のご宣託。
子どもの頃 親しんだ ハッカパイプのような、プラスチック容器入りの 奇妙な薬を渡され 思い切り 吸い込む。 
不思議な薬の効果は 抜群で 翌日の 昼前には 平熱に落ち着いた。 
熱が あるといっても 8度5分、ただ延々と眠り続けただけで、 よくもまあ こんなに眠れるものだと 我ながら 呆れたくらい、 風邪で寝込んだのは 生まれて初めての体験で 「馬鹿は風邪を引かない」伝説に 水を差すことになったけど、これで普通の人の仲間入りかと、
まだまだ ノンキな 第一幕でした。
その後、件の友人から 「寒気が止まらず 病院へ行ったら インフルエンザA型だった・・・」という メールを受け取った時は さすがに 落ち込んだ・・・ 追い討ちをかけるように、母を預かってくれている施設から 電話があり 「芳枝さんが 8度5分の熱があるので 引き取って欲しい」 とのこと。 もうろうとした頭で これでもかという防寒対策をし、母を迎えて、緊急病院へ 走る・・・ 
何故だかよくわからないのだけど 横で 毛布に包まる 母親が やけに可愛かった・・・ 検査の結果は 「インフルエンザでは ない・・・」 
歩行は おぼつかなかったけど 食欲もあったし、この程度の原因不明の熱を出すことも ママあったので、少し安心もしてました。 
・・・ 帰宅して しばらくして・・・・ 21時半ごろに電話の音、 妻の 友人でした。
「ケンちゃん(私のこと)宇佐美さんが 死んだ・・ 今日、お通夜だったんだよ~ 何度も電話したのに~」 彼女は私の ケイタイは知らず、 私は 前日 電話の音を 夢の中で聞きながら 起き上がる気力がなかった・・・ 
宇佐美さんは 私の恩人、私が妻と結婚できたのも、この方のお蔭、 デザイナーで 何よりも人形劇団の代表として 全国的にも有名な方、いずれ書くこともあるかも知れない・・・ 
「3日間は安静に」 などという医師の言葉もぶっ飛んでしまった、衝撃の第二幕。 

今朝の 自分の顔を見て ギョッ!
セルフタイマーで 撮ってみました。

そして迎えた 今朝、 
母は7度2分と小康状態だったし、食欲もあったしで 
少し遅い朝食にしてもらい(昼が支度できないので)、
母をベッドに休ませ 部屋を温かくして 葬儀に赴いたのでした。 
葬儀~火葬場~埋骨と お供させていただき、
何の恩返しも出来なかった 自分を恥じつつ、
それでも 最期に お会いできて ヨカッタな~
と、帰宅したのが16時。 
母の顔色が 心なしか青い、
検温してみたら 38,5℃に 上がっていました。
病院では、 「インフルエンザA型です」 と ・・・ 
母は 足元がふらついて 歩けず、生まれて初めて 母を背負いました。 
妹たちにも 当分 来なくていいから、と告げ 
明後日に控えた 『興徳寺世話人会』 の準備と 母の看護に 全力を尽くします。 
「これも修行のうち・・・」 と つぶやいた 最終幕。



  今朝の富士山。 写真を撮るのも これで 精一杯
【エピローグ】
懺悔・告白いたします。 
宇佐美さんの葬儀に 出席したいと思ったのは まったく純なる心からで、 わが身の犠牲などと 比べられる性質のものではありません。 ですが 他者に対する思いやりが 足りなかった・・・  
母の世話に手間取り、 出発が30分間も遅れた・・・
気はせくも 病み上がりのボーッとした頭も あって いくつかの忘れ物をしました。
マスク・・・ 途中で気がついたけれど、 僧侶の席が用意されているのに遅れるわけにいかず、 その前に 導師ならびにご遺族に挨拶も・・・と あせりまくって、 開始ギリギリで 会場に滑り込んだのでした。 
・・・それからの数時間、私は 無防備なる参列者の中にありました。 正直言って インフルエンザの加害者であることを 忘れていました。
医師が告げた 私のインフルエンザ菌の 潜伏期間は 明日まで。  
本当に取り返しのつかないことをいたしました。 犯した罪に 慄きます。
そして これ以上 私を 頭とする 感染者が出ませんよう・・・ 真剣に祈るのみです。
まだまだ 修行が足りないのです。