本堂の改修工事は順調に進んでいます。
トイレを拡張するため、隣接する部屋(かつて弟が使っていて、今は私が書道などで使っている)のクローゼットを解体することになりました。
13年前に亡くなった弟の遺品を詰め込んでそのままの状態でした。
弟の趣味はオーディオ、
LPレコード、カセットテープ、VHSテープ、DVD等、コレクションがぎっしり。一時流行したレザーディスクが約200枚、よくよく見ればなかなか趣味のよいもので、自分も鑑賞して見たいと思う物もたくさんありました。1枚が5,000円~7,000円と当時としても高額のものでざっと100万円以上です。 もったいないとは思いましたが、自分で購入したDVDでも観ていないもいっぱいあるのに、残された自分の時間の中で観る事はないだろうと判断し、デッキもろとも処分。
弟がこの世に存在した痕跡がこんな風に消えてゆく・・・ 少し感傷的になりました。
せめてもの思いから LPレコード300枚は、新しいレコードプレーヤーを購入し保存することとしました。
母の部屋を片付けていたら、母が嫁いで来た日の手記を発見。
便箋の裏表にびっしりと2枚、きれいな字で綴られています。
何の目的で書かれたのか分かりません。薄い便箋で裏側の文字が透けてしまい、旧仮名遣いもあって読みにくいのですが、母は照れながらもスラスラと読んでくれました。 (本当に認知症?)
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四月廿六日 月 晴 夕方 雨 結婚式挙行されし日の思ひ出の記
四時起床、ゆっくりお風呂を浴びて清々しい気分、朝の新鮮な空気の漂ふ中、一人緊張し切った 嬉しい様な悲しい様な 何と表現してよいのかしら? 踊る心を押さへつつ母と二人 五時 少し早いと思ったけれど 髪結いさんへ向ふ。 一刻も早く支度をと、自分の心のみあせって どうにもならぬ。 洋髪で不慣れのためかセットだけで一時間半もかかってしまひ 化粧 着付 時間が迫って来てをるため スピードですます。 すっかり支度が整って 鏡の前に立った私、これが私の眞の姿なのかしら、と何だかわけがわからなくなってしまふ。 急ぎ足で宅につき、お茶を一杯飲んだのみ、 佛様へご挨拶をすませ、(二十三年間すみなれた我が家とも今日限り お別れかと思ふと胸が一杯になってどうすることも出来ず、出てくるものは 只涙のみだった) 駅へと急ぐ。 花嫁さんといへば ゆっくりおしとやかに歩いて行くのに 私の花嫁姿 歩行人が見て 何か笑ってはいないだろうか と気が引けて仕方がなかった。 ―――――
こんな書き出しで始まり、東海道線から身延線に乗り換えて、西富士宮駅で迎えの車に乗って、生まれて初めての興徳寺、本堂で結婚式が執り行われ、その後披露宴、顔見世といって近所への挨拶、そして親や来賓が帰り・・・
―――――夕方からポツリポツリ雨降り出す。 雨降って地固まる、全くいヽ雨だ。 晝間降らなくて 本当によかったと・・・。 結婚初夜 しとしと と小雨降る音を聞きつヽ 可愛い弟妹達の事を思い浮べ 静かに床につく。 耳に入るもの 時計のセコンドのみ。 我が家と異なりあたりはシンとして静まりかへり 落ち着いた春の夜は しん しん として更けて行くのだった。―――――
戦争で焼け出され、バラック住居に両親と弟・妹計10人で暮らしていた母、見たこともない男(父)が突然現れて、親に結婚を申し込み、あれよあれよと言う間に式の段取りが決まってしまった。
(同年4月)
そんな23歳の母の花嫁としての初々しさや緊張感が伝わってきました。
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『寒行』
最終日は 節分の豆まきが興徳寺で行われました。
日蓮宗では「福は内~」のみで「鬼は外~」は言いません。 鬼子母神、十羅刹女といった鬼も仏さまを守護しているからですが、私たちの心に 仏心(ほとけごごろ)も 鬼(怒りや恨み・妬み・・・)も住んでいる、その鬼を抱えている自分を認め、(鬼を)制御すること、 それが修行だと思います。
7名の方が 一日も休まず参加され ささやかな表彰式、 それぞれが「よい修行させてもらいました」 と謙虚な感想を・・・
「富士山眺望点」
興徳寺が富士宮市の「富士山眺望点」として認定されました。
「富士見亭」の隣です。
「富士山眺望点」からの富士山です。
*「寒行」が終わり、今年の冬は寒いのか、温かいのか実感する間もなく、春のお彼岸のお経廻りが始まり、それが終わるともう「花まつり」、桜が咲いて、竹の子掘って・・・と そんな季節がもうすぐそこに・・・