山寺の
和尚さん日記

弟子

息子 浩太が 僧侶になる道を選択し 私の弟子となりました。



私達家族がブラジルに渡ったとき 彼は2才になったばかりでした。
20歳の時 リュックひとつ背負って、憧れていた南の町 フロリアナポリス(サンパウロから700km)に行き 州立大学の建築デザイン科を卒業し、3人のデザイナー仲間と一緒に 家具工房を始め 家具職人として働いていました。 独学ですが 釘を使わない 日本式の組み込み家具は それなりの評価を得ていたようです。
仲間の一人が大きな建築コンペに優勝し、デザイナーとしての自立を果たしたことをきっかけに、いったん工房を閉鎖し、長兄のいるメルボルンへ。 彼の作品を売るための市場性として オーストラリアに魅力を感じたようです。 
昨年末 ブラジルの友人の日本旅行を案内するという目的で日本に来ましたが、友人が帰った後も 興徳寺に滞在しておりました。
オーストラリアの永住権を取得するため 大学に入学したい、その学資を調達するため日本で働きたい、と言うので 日本で働いても それほど残せるわけでもないし、時間ももったいない、お金を貸すから オーストラリアに帰ったらどうか、と言うと 本当はオーストラリア人よりブラジル人が好きなんだ、とも言う(この気持ちは私にも理解できる)、だったら 興徳寺の手伝いをしながら 進路が決まるまでここにいてみたら?と提案しました。

実際に 彼がいてくれると とても助かります。朝の本堂のお給仕、食事の後片づけ、掃除、ゴミ出し、庭の草取り、草刈etc…   あちこちに棚を作ってもらい これは本職なので さすが上手ですが 倉庫・物置がすっかり片付きました。 
朝のお勤め、これは仕事ではない、寺に居住する者の義務として・・・ お経のレベルもだいぶ上がり、住民票登録、免許証の取得(車とバイク)、中古のバイク購入と必要なことも一通り終わった 先月半ば、「そろそろ進路を決めたら?」ともちかけました。 ①オーストラリアに行く ②ブラジルに帰る ③日本に滞在する、その場合は何をする? 期限を妻の命日の 7月1日としました。


その日の朝、お勤めの後、本堂で二人、正座して対面し 
「それでは今後のことを話してください」
「ハイ、僕は坊さんになります」
「坊さんになるためには 師匠が必要だけど 誰を?」
「お父さんに お願いします」

誰かに「とりあえず坊さんの資格だけとっておいたら?」と言われたそうですが、その考え方を 私は認めませんでした。 
坊さんは 職業ではなく、生き方だ、と思っています。 坊さんには 仕事と遊びとボランテイアの区別はない、プライベートの時間などという概念もない、24時間、365日、死ぬまで坊さんです。 とっても大変な生き方みたいですが 心は自由で解放されています。

   
 (月見草です)

この半年、24時間を彼に環視されてきましたが、私も16年ぶりに息子と暮らしました。
坊さんに向いていると思えます。 妙な欲がない、正義感が強い、やさしい・・・ これだけで充分ですが 自然が好きで 自立できていることも ここに合ってます。


よく「おめでとうございます」と言われます。 おめでたいことかどうかは分かりません。 責任も重大です。
僧侶を志すにあたり 決め手となったのは ムカシ 母から言われた言葉 「あんたは坊さんになるよ」だったそう。
ブラジルの土建屋のおっさんであった私に 「ほんとはケンちゃん(私のこと)は 坊さんになるのが一番いいんだけどネ~」と つぶやいたのも妻、
そういえば 宮大工のセガレであった父親が 小学校2年生で 僧侶の道を志したのも 母親の遺言でした。

 (今から12年前 妻と初めて 浩太を訪ねた)

すべては 仏さまのプログラム、
そんな風に思います。


ブラジルの友人 鈴木さんファミリーが訪ねてくれました。 ご夫妻と 3人の子ども達、その伴侶たち、そして孫たち、上は鈴木さんの78歳から 下は1歳の孫まで 総計13名、 子ども達の休みに合わせて 働いている6人がそれぞれに休暇をとり、 パリに3日、日本に9日、帰りはアムステルダムに3日という企画をたてました。  このような発想をし、そして実行に移してしまうのが ブラジル人の いいところだな~ と改めて思いました。


7月のお盆も始まり、いよいよ本格的な夏とともに お盆の棚経~川施餓鬼~秋のお彼岸、と スケジュールびっしりの毎日となります。
浩太は 目下 日本語の特訓、 秋には得度式を済ませ 来年は大学にと 考えております。

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