山寺の
和尚さん日記

ここからの始まり

5月19日、弟子・泰潤の『信行道場(しんぎょうどうじょう)修了式』でした。

結界修行(けっかいしゅぎょう)といって外部とまったく遮断された中、tv/ラジオ/新聞はいうにおよばず、ケイタイ電話、時計すらない中での35日間、とくに今回はコロナ禍で毎朝の本山(ほんざん)の朝勤出仕(ちょうごんしゅっし=朝の法要に出ること)もなく、まったく閉じこもりきりだったようで、厳しかったかもしれないけど良い修行になったのでは、と思います。
(通常、道場から本山の本堂までの約500mを隊列組んで、団扇太鼓に大きな声でお題目を唱えながら歩きます)

最後の日は朝5時半から最初で最後の「朝勤出仕」、そして7時半から「終了式および教師認証式(僧侶の資格を授与する式)」でした。


本堂内は写真撮影が禁止されているので、式典が終了し全員の記念写真の場面から・・・

本堂前で記念撮影、50名の修行僧が一人も欠けることなくこの日を迎えることができた。 道場生はもとより、寝食をともにされた指導の先生方も、喜びひとしおであったことと思います。 本当にご苦労様でした。

(一番上の段の右の柱の前に泰潤を発見)

終了式が終わって、いったん道場に戻り、最後の法要~お掃除~解散、となります。

雨は降っていますが、心は晴れ晴れしていることでしょう。

解散は11時半過ぎとのことで、雨の中、道場の前で待ちました。

ここは「信行道場」の入り口、門が鳥居を逆さにしたような形になっているのはここが非日常の世界であることのシンボルだそうです。
石段を上ったところに小さな門があってそこからが「結界」となり、期間中は誰も入る事が出来ません。

 

「泰潤がなかなか出てこないな~」と思って待つことしばし・・・ 50人中49番でした。

「おっ、少し痩せたか?」という第一印象。 
「おお」 「ああ」 なんて感じで特に言葉もなく・・・ とりあえず、写真一枚撮らせてもらいました。

これは泰潤の祖父・泰静(たいじょう=私の父)が「信行道場」に入る前の写真、1941年、今からちょうど80年前です
父・19歳、初々しい気持ちが伝わってきます。

泰潤が昨年より待ち続けた『信行道場』は無事終了し、正式に僧侶として認められました。
ブラジルから戻って6年、ひとつの区切りかと思います。

でも、本当に大切なのはここから。 僧侶としてどう生き、何を目指すのか? 

髙い志を掲げ、一日一日、精進して欲しいと願います。

私自身も、17年前のあの時の気持ちを思い起こし、初心に帰って再スタートしてみたい、と改めて思いました。

梅雨入り

5月の梅雨入りです。

毎日、草刈りや山の手入れをしていますが、大雨にて休み(小雨なら作業します)、カメラを持って外に出ました。

竹林と ヤマボウシ。

ヤマボウシの花

ていねいな草刈りを心掛けるようになって、アザミがたくさん咲いてくれています。

友人から快気祝い記念として贈られた鉢植えのバラが花を咲かせてくれた。

カルミア

シャクナゲ

オオデマリの花びら

今年から植樹を始めた”延命寺山(えんめいじやま)”からの展望、
富士山頂から駿河湾、その向こうに伊豆の山々、そして手前に拡がる水田風景、本当にスバラシイ眺めです。

興徳寺の裏山から北に約500Mくらい、柚野山(ゆのやま)と呼ばれる同じ山塊です。

これから暑い季節を迎えます。

泰潤が戻ってくれたので、これからはもう少し山の仕事にウエイトをかけながら、興徳寺とこの村の未来を考えていきたいと思います。

ここからの始まり、です。

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